First love

「えっ?!お、オレの初恋…ですか?」

「うんっ!」

冷や汗をかいてうろたえる七海を、かなではニコニコと見つめている。

2学期が始まってから、星奏学院と天音学園のわだかまりも解け、二人は街中で堂々とデートしていた。
…といっても、もともと星奏学院と天音学園が対立していたわけではなく、ただ全国大会のライバル校同士というだけだったのだが。

まだ残暑の9月。
オープンテラスでアイスクリームを食べていた二人。
七海はかなでの質問に狼狽していた。

“七海くんの初恋って、いつだったの?”

「そ…それは…」

「ねえねえ」

「………。かなでさん…です…」

「本当にぃ?高校1年まで好きな人いなかったの?」

「うっ…」

「別に私に気を遣うことないよ?私が聞いてるんだから」

「………。小学…1年生の時…です」

「小学1年生?!わー、七海くんておとなしい顔して結構おませさんだったんだね?!」

「そ、そんなことは…」

子供の頃のこととはいえ、恋人の前で昔の恋愛を語るのは酷だ。
そんな気も知らないでかなでははしゃいでいる。

「あーっ、でも七海くんて高校入るまでは結構強めでブイブイいわせてたんだよね?!それなら頷けるわー」

「だっ、誰がそんなことを!」

「ハルくんと新くん」

「くそっ…。新め、今度会ったらひっぱたいて…」

「そんなことより!詳しく聞きたいな~?当時のこと!」

「で、でも…」

「………」

かなでは頬杖をついてニヤニヤしている。

「(ぐっ…)」

「話してくれるよね?」

「………はあ。オレが小学校に入ってすぐのこと…です」

 

 

 

「ほらほら~っ」

「ななみくん、やめてよお!うわーん!」

当時、オレは結構ないたずらっ子で…。
同じクラスの女の子を、毛虫を持って追いかけたりしてました。
わ、悪気はなかったんですけど…
なんていうか…その年頃の男にはありがちっていうか…

♪~♪~♪♪♪~…

「(ん…?)」

ある公園の近くを通りかかると、何かの音が聞こえてきて…
オレは女の子を追いかけ回すのも忘れて、その音に導かれるようにして公園に入りました。

そこには…

♪♪♪♪♪~…

「(あ…)」

女の人が、クラリネットを吹いていました。
その時は、何も知らなかったからただの縦笛だと思ったんですけど。
すごくきれいな音で、気づくとその人の前で、じっと演奏を聞いていました。

「………。………あっ!」

オレに気づくと、彼女はぱっと演奏をやめて、赤くなって俯いてしまった。
きれいな音を聞けなくなったオレは、つい口を尖らせてしまいました。

「なんでやめちゃうんだよー。きれいなおとだったのに」

「き、きれいな音…?あっ、えと、その、…私、じっと見られていると、恥ずかしくて…」

「はずかしい?なんで?」

じーっと見てると、彼女はますます赤くなっていました。

「…ねえ、それってりこーだーってやつ?オレ、しってるよ!3ねんせいになると、ならうんだって」

「り、リコーダー?!」

彼女はびっくりして、次の瞬間くすくすと笑い始めた。

…演奏してる間も、ずっと思い詰めたような顔で。
演奏をやめても、自信なさげで、おどおどしてて…

だけど、笑った顔はすごく可愛かった。
今思い出しても、可愛い人だったなって…思います。

「これはね。クラリネット、っていうの。リコーダーじゃないのよ」

「くらりねっと…?あっ!しってる!パパからもらったくらーりねっと♪」

オレが歌いだすと、彼女はますます楽しそうに笑っていました。
…こんなふうにずっと笑ってればいいのに。そう思った。

「そうそう、そのクラリネットだよ」

「へー。おねーちゃんは、なんでこんなところでくらりねっとふいてるの?」

「えっ、あ…。それは…」

オレは近くのブランコに飛び乗った。

「大勢の人の前で練習するのが恥ずかしくて…。ここなら、あんまり人もこないし…」

「ふーん…」

「本当は、たくさんの人に演奏を聞いてもらった方が上手になれるのに…。どうしても、人がいると緊張しちゃって…音が…震えて…」

「………」

「っ!わ、私ったら知らない小学生にぺらぺらと…。い、今のは忘れてね?」

「たくさんのひとじゃなきゃ、へいきなの?」

「えっ…」

「それなら、オレがきいてあげるよ!おねーちゃんのくらりねっと。それなら、きんちょーしないだろ?!」

「えっ…、で、でも。いいの?」

「うん!すげーきれーなおとだったから、もっとききたい!」

「…ありがとう」

彼女ははにかんで、クラリネットを聞かせてくれた。
その頃のオレは、音楽になんて全然興味なかったけど、何かに惹かれたんでしょうね。

 

「…そろそろ帰らないと」

夕方になった頃、彼女はそう言いました。
いつもは長時間じっとしていられない子供だったのに、彼女のクラリネットを聞いている時だけは時間を忘れるくらいおとなしく聞いていたっけ。

「えーっ、もうかえるのー?」

「君ももうおうちに帰らないと、お父さんとお母さんが心配するよ?」

「つまんないのー」

「…明日も、同じくらいの時間に練習にくるから。よかったら、また私のクラリネット、聞いてくれる?」

「………うん!きく!」

「ありがとう。…そうだ、お名前は?」

「ななみそうすけ!」

「そうすけくん…そうちゃんだね。私は冬海笙子っていうの。よろしくね」

「しょーこ…。じゃあ、おねーちゃんはしょーちゃんだね!」

「しょ、しょーちゃん?」

「じゃあ、またあしたね!バイバイ、しょーちゃん!」

 

 

 

それから、オレは毎日のように笙子さんのクラリネットを聞きにいきました。
笙子さんは高校生だったけど、小学生のオレにも同じ目線で接してくれて…
とても優しい人だった。

相変わらずおどおどしてたけど、そんな彼女を笑わせることがすごく嬉しかった。
いつの間にか、それがオレの役割みたいになってて。

ずっと年上の女の人を励ましたり笑わせたりできるなんて…って、子供ながらにどこか誇らしくて。

いつの間にか、一番仲のいい友達みたいになってた。

「しょーちゃんは、どうしてくらりねっとをやりはじめたの?」

「私…?えと、小さい頃にね。知り合いのお姉さんがクラリネットを吹いているのを聞いて…すごく、素敵だなぁって思って…。私も、やりたいなぁって…」

「そうだったんだ」

「でも、お母さんはなかなかクラリネットをやることを許してくれなくてね。お父さんがお母さんをなんとか説得してくれて…あの時は、本当に嬉しかった」

ニコニコしながら話す笙子さんを見て、子供心に「この人は本当にクラリネットが好きなんだ」って思いました。

「…そうだ。そうちゃんも、クラリネットをやってみたら?今から始めたら、きっとすごく上手になれるよ?」

「オレが…?」

いつも笙子さんのクラリネットを聞いていたけど、自分がやるなんて考えたこともありませんでした。
クラリネットって、黒くて、リコーダーなんかよりずっとしっかりした作りで、すごく高価そうに見えたし…

「………やだ」

「えっ」

「どーせやるなら、そんなちっこいがっきより、もっと、どーんっておっきいがっきがやりたい!おとこらしい、おっきながっき!」

「そ…そっか…」

「………。それに。オレがくらりねっとのおとがすきなのは、しょーちゃんがふいてるからだもん。くらりねっとは、しょーちゃんがふいてるのをきくだけでいい」

「そうちゃん………」

笙子さんは顔を真っ赤にして慌てていた。
子供の言うことを真に受けてしまうところも、可愛かったな。

「………。こどものいうこと、まにうけるなって!くどかれやすいおんなは、きけんなおとこにひっかかりやすいんだぞー?」

「っ…!そ、そうちゃん!そんな言葉、どこで覚えたの!」

もう!と怒る彼女が可愛くて、オレはニコニコしてました。
…今考えると、本当に同一人物とは思えませんよね…。

「…男らしい大きな楽器…。そうだ、チェロはどうかな」

「ちぇろ?」

「大きな楽器は他にもあるけど、チェロなら持ち運びにもそこまで困らないし。とってもいい音がするんだよ?」

「ちぇろ…。しらないがっきだ」

「ふふ。じゃあ、おうちに帰ったらどんな楽器か調べてみて」

オレは、「チェロ」という楽器に興味を持ちました。
他にも楽器なんてたくさんあるけど、今ではあの時笙子さんに勧められた楽器がチェロでよかったって思う。

…まさか、こんなに大好きになれるなんて思わなかった。

 

 

 

笙子さんと知り合ってから、半年がたった頃でした。
いつものように公園に行くと、笙子さんは先に来ていた。

…いつもと様子が違った。

オレと会うようになってから、笑顔の多くなった笙子さんだったのに。
その日、彼女は泣きそうな顔をしてオレを待っていた。

「しょーちゃん、おまたせ!」

「………そうちゃん」

「………?どうしたの?なんだかげんきがないよ。くらりねっとももってないし」

「………うっ」

「しょーちゃん…?」

笙子さんはいきなり泣き始めてしまった。
オレはいたずら小僧だったけど、さすがに年上を泣かせたことはなかったから、すごく戸惑いました。

なんて言ったらいいのかもわからないし、ただ笙子さんが泣くのを見ていることしかできなかった。

笙子さんが泣いているのを見ているうちに、だんだんとオレまで泣きそうになって…

でも、オレ、耐えました。

「(お…オレはおとこだ!おんなのひとのまえでないたりしたら、いけないんだ!)」

…そう思って。

え?初めて会った時、大泣きしてた?

あ、あれは…。

そ、それくらい辛かったんですっ!

「…泣いたりして、ごめんね」

ひとしきり泣いた後、笙子さんは言いました。

「………どうしたの?なにかあったの?」

「………。私…。今、クラスでよく思われてなくて…」

教科書を隠されたり、仲間外れにされたり。
最初は我慢していたけど、どんどん耐え切れなくなった、という話でした。
それを聞かされたオレは、激怒した。

「オレがそいつらをやっつけてやる!」

「えっ」

「しょーちゃんをいじめるやつはオレがゆるさない!なかまはずれはいけないんだぞ!オレだって、いたずらはするけどなかまはずれはしない!」

「そうちゃん…」

「オレがまもってあげるよ!だから、もうなかないで、しょーちゃん」

そう言って笙子さんの手を握ると、彼女はまた泣き出してしまった。
泣かないで、って言ったのに。

「しょーちゃん!」

「ち、違うの。嬉しくて…」

笙子さんはオレの頭を撫でて、泣き顔のまま精一杯笑った。

「こんなに心強い男の子がいてくれるのに、泣いちゃうなんて恥ずかしいね。…ありがとう。そうちゃんのおかげで、元気がでてきたよ」

「………!」

オレは、嬉しかった。
その時―――

子供ながらに、「オレがしょーちゃんを守るんだ」って、そう思ったんです。

 

 

 

そんなことがあった次の日。
オレはまた、いつものように公園に行きました。

もし笙子さんがまだ泣いていたら、また励ましてあげなきゃって。
いっぱしのナイト気取りで、カンフーのまねごとなんかしながら。

 

「………」

「そうちゃん!」

笙子さんは、いつもより遅い時間に公園に現れました。
もう、太陽は沈みかけてて。

「ご、ごめんね。待っててくれた…よね?」

「うん、まってたよー。きょうはおそかったね?」

また泣いてるかと思ったのに、笙子さんはどこか嬉しそうにニコニコしていた。

「…もうげんきになったの?」

「うん!」

笙子さんはオレの隣のブランコに座って、嬉しそうに話しはじめた。
子供のオレより、もっと子供みたいに。

「実は…。私の大好きな先輩が、他の先輩がたと一緒に、私を励ますためにパーティーを開いてくれたの」

「パーティー…?せんぱい、ってなに?」

「2年生の…年上の人だよ。上の学年の人」

「…ふーん」

「私が悩んでいたこと…気にしてくれてたんだって。それで…私を励ますためにパーティーを。…すっかり元気になれたし、クラスの友達とも仲直りできた」

「………」

笙子さんが元気になって、嬉しいはずなのに。
オレはどこか、面白くなかった。

笙子さんのことはオレが守るって決めたのに。
オレが励ました時より、ずっと嬉しそうだし。

しかも、「大好きな先輩」って―――

「そうちゃん…?」

「………なんだよっ!だいすきなせんぱいって!」

オレはブランコから飛び降りて怒鳴った。

「しょーちゃんをげんきにさせるのはオレだけでいいのに!しょーちゃんはオレがまもるってきめたのに!」

「そ…そうちゃん」

「もういい!しょーちゃんなんかきらいだ!」

それだけ言うと、まだ笙子さんのクラリネットも聞いていないのに、オレは公園を飛び出した。

…一人前に、嫉妬してたんですね。
笙子さんの友達はオレだけだって、どこかで思い込んでて…。
ううん、それだけじゃない。

好きな女の子を取られたって思って、悔しかったんだ。

 

 

 

それから、オレは公園に行かなくなりました。
あんな別れ方をして気まずかったこともあったし、何より笙子さんに嫌われたんじゃないかって思って…。

本当はすごく笙子さんに会いたかったくせに、変な意地を張ってしまって…。
あの頃は子供だったから、折れるってことを知らなかったんです。

え…。
変わってない?

ひ、酷いですよ、かなでさん!

…こほん。

それで…。
1ヶ月くらいたった頃かな。
オレはずっと、例の公園を避けて通ってたんですけど。
その日、たまたまその公園の近くにある友達の家に遊びにいって…

やむをえず、行き帰りに公園の近くを通ったんです。

行きは、笙子さんがいたらどうしようって思いながらも公園を覗いたけど、彼女はいなかった。
だから、帰りもいないと思ったんですけど…。

「(やっぱりしょーちゃんはオレのことをきらいになっちゃったんだ…)」

♪~♪~♪♪♪~…

「………!」

…クラリネットの音が聞こえてきたんです。
笙子さんの音。

「(しょーちゃんだ…!)」

そう思ったら、意地を張っていたことも忘れて公園に駆け出していました。
はは、そこらへんはやっぱり子供ですよね。

「しょーちゃん!」

♪♪…

「そうちゃん………!」

笙子さんは安心したような笑顔でオレを見ていました。
しょーちゃんは、オレを嫌ってなんかいなかった。
公園にも来てくれてたんだ。

そう思ったら、なんだか泣けてきちゃって。
でも、ちゃんと我慢したんです。子供なりに。

「…あれから、ずっとここには来てたんだけどね。そうちゃん、来なかったから。心配してたんだよ?」

「おっ…オレ…っ。しょーちゃん…」

「久しぶりに私のクラリネット、聞いてくれる?」

「っ………」

オレは涙を我慢しながら大きく頷きました。

 

「あのね、そうちゃん」

久しぶりに、たくさんクラリネットを聞かせてもらった後、笙子さんは話しはじめました。

「私、オーケストラ部に入ることにしたんだ」

「おーけすとらぶ…?」

「うん。みんなで、いろんな楽器の人と同じ曲を演奏する、クラブ活動。クラブ活動、わかる?」

「…4ねんせいになったら、はいるやつ?」

「そう。…初めてそうちゃんに会った頃、私はたくさんの人の前で演奏することがすごく怖かった。今まで、大勢の人の前で演奏することは何回かあったけど…できればやりたくないって、ずっと思ってたの」

「…うん」

「でもね。それじゃいけないんだ、って。自分から進んで大勢の人の前で演奏できるようにならなきゃ、って。…そう思ったんだ」

「………」

「そうちゃんのおかげなんだよ?」

「………?!オレの…?」

「うん。一人きりの練習を、そうちゃんに聞いてもらうようになって…。私、いつの間にかそうちゃんから勇気をもらってた。夢中で私のクラリネットを聞いてくれる人がいるって、こんなに嬉しいんだって思ったの」

「お…オレもうれしい!」

「本当?…ふふ」

「でも…」

「?」

「その…。おーけすとらぶには…。『だいすきなせんぱい』もいるの?」

「えっ?ううん、いないよ。香穂先輩は、オケ部には…」

「かほ…せんぱい?」

「うん、日野香穂子先輩。私が大好きで、憧れの先輩。私も、いつか先輩みたいになりたい…」

「………だいすきなせんぱい、って…。おんなのひと?」

「えっ?うん、そうだよ」

「………なーんだ!」

オレはなぜか安心していました。
「大好きな先輩」なんて聞いたから、てっきり男なんだって思ってて。
…嫉妬したのが、ばからしくなってしまった。

「………それでね。部活を始めるから…。もう、今までみたいに公園には来れなくなっちゃうの」

「え…」

オレは、目の前が真っ暗になったような気がしました。
もう、今までみたいに会えなくなる…。

部活の後に会うことはできたでしょうけど、小学1年生のオレにとっては遅い時間になってしまうからでしょうね。

すぐに「そんなのやだ」って反論しようと思いました。
でも…。

こんなに明るく前向きになった笙子さんをまた困らせるのも、いやだと思った。
子供にとっても、大切な人に幸せになってもらいたい気持ちは、変わらないんですよね。

「………わかった」

泣かないように、声を震わせないようにするのが精一杯でした。

「…今までありがとう、そうちゃん」

「…べつに!ちゃんとたくさんのひとのまえでくらりねっとふけるようにならなきゃ、オレおこるから!」

「…うん。わかった。約束するよ、もうおどおどしない。…泣かない」

「ん。やくそくだよ?」

ゆーびきーりげーんまーん…

オレたちは指切りをしました。
それから、さよならして。

その後、笙子さんに会うことはありませんでした―――

 

オレは、家に帰って、両親に「チェロを習いたい」と申し出ました。
両親は反対はしませんでした。むしろ、いいんじゃない、って。落ち着きのないオレがまさか楽器をやりたいなんて言い出すと思わなかったんでしょう。

でも…。
チェロは、ぽんと買えるような値段の楽器ではなかったんです。
だから、習わせてやりたくても楽器が買えない…って言われて。

オレは諦めませんでした。
どうしてもチェロがやりたかったから。

オレは、家の手伝いをしてチェロを買うお金を貯めることにしました。調理の手伝いはもちろん、店が繁盛するようにチラシを配ったり…

そうやって、小学5年生の頃、やっとチェロを買うことができました。
…あの時は嬉しかったなぁ。

…かなでさんと初めて会った時捨てようとしていたのは、もちろんその時買ったチェロです。

今思えば、自分のしようとしていたことが信じられません…
あんなに頑張って、やっとのことで手に入れたチェロを捨てようとしたなんて。

それくらい思い詰めてたんだな、って今となっては思いますが…

あの時、かなでさんがオレを止めてくれて、本当によかった。
本当に、感謝してるんですよ?

 

 

 

「………へえ」

「い…。以上、です…」

語り終えた七海は、頭から湯気を出していた。
そんな様子の彼を、かなではニコニコと眺めている。

「いいお話だったね。…でも、現恋人の前で昔の恋愛を語るなんて、いい度胸してるなー、七海くん」

「そっ、それは!かなでさんがっ…」

「ふふっ、冗談だよ。…すごく素敵なお話だったよ。聞かせてくれてありがとう」

こぼれ落ちそうな笑顔に、七海の心臓はどきりとはね上がった。

「い、いえ………あっ!」

「?」

「で、でも!今までで一番大好きだって思ったのは、かなでさんただ一人ですよ?!お、オレ、かなでさんが大好きどころか、あいっ、愛してますからっ!」

「っ………な、七海くん」

本人は無意識なのだろうが…
椅子から立ち上がって大きな声でそんなことを叫ぶ七海に、街行く人たちはくすくすと笑っていた。

「オレ、かなでさんのこと………はっ。すっ、すみません!」

…溶けて小さくなってしまいそうだ。
かなでは咳ばらいして、話を変えた。

「その…笙子さんは、音楽家になってたりするのかな?」

「えっ?あっ、どうだろう…。高校生でもあんなに上手かったら、音楽家になってるんじゃないかな…」

「なら、七海くんも負けてられないね。七海くんも音楽家になったら、いつかまたどこかで会えるかもよ?」

「はい!………。でも。オレは音楽家になんてなれるのかな…。オレなんて…いまだにみんなの足を引っ張ってばっかりで」

しょんぼりする七海。
かなでは、ニヤニヤしながら見ていた。
そんなかなでの表情に気づいて、七海は口を押さえる。

「あ」

「ふふふ。…『オレなんて』1回につき、お願いごと1つ」

「っ………」

「もう、さっきも言ったばっかりなのに。口癖になっちゃってるのかなぁ」

七海がかなでに告白した時のこと。

『お、オレと付き合って下さい!ず、ずっと…大事に…します…から…』

『(だんだん尻つぼみに…)』

『………。でも。オレなんてかなでさんと付き合っていい男じゃないのかも。オレなんて…』

『………。うん。いいよ、付き合おう!でも、ひとつ。約束してほしいことがあるの』

『え…?』

“オレなんて”
七海の口からその言葉を聞くのは好きじゃない。
全国大会であれだけの勇姿と実力を見せたのだから、もっと胸を張ってほしい。

“オレなんて”ひとことにつき、かなでのお願いをなんでも1つきくこと。
そんな約束をした。

ちなみに、七海が初恋の話をしたのも、つい“オレなんて”と口走ってしまったからだ。

「はあ…。気をつけてたはずなのに…。オレ、またやっちゃった…」

「なんにしよーかなー♪………そうだ」

「…なんですか」

「ここで、キスして?」

「?!」

七海の顔が真っ赤に染まった。

「そ、それは!いくらなんでも!」

「約束、忘れちゃったのかなぁー?」

「だ、だって、こんなっ、人の多いところでっ」

「人の多いところで、って。人がいないところでもしたことないじゃない」

かなではニヤニヤしている。
七海は、ぐっとこぶしを握った。

「わ…わかりました。オレは男です!約束は必ず守る!」

「え…、マジ?」

やたら真剣な顔でかなでを見据える七海を見て、かなでは焦った。
冗談のつもりだったのに。てっきり、「できません!」なんて言うと思ったのに。
ちょっとまずい、かも。

「ちょ…タンマ。やっぱり、違うのに…」

椅子から立ち上がったかなでの腕が、すかさず掴まれる。
そして―――

「―――――!」

七海の唇が、かなでの唇に重なった。
思わず目を閉じたが…

唇を重ねている間、周囲から痛いくらいの視線が集まっているのを感じた。

「………しましたよ」

「っ………」

今度はかなでの顔がまっかっか。
七海といえば、けろっとしている。
むしろ、してやったりと鼻を鳴らして。

「………ありがと」

「勇気を出したら、案外なんでもできてしまうものですね。なんなら、もう一回しますか?」

「(そうだ。七海くんて、案外…)」

そう言って笑った七海は、
なんだかいたずらっ子な小学生みたいな目をしていた。

END