Lovesickness |
『新!サンキュ、この前の合コンで番号聞いた女の子と付き合うことになったぜ!』 『本当?!良かったじゃ~ん、カンシャしてよね!』 『そりゃーもちろん!駅前の激辛カレー、奢ってやるよ』 『マジか!やったぁ~♪』 『それにしてもさぁ、新。お前って、女の子の知り合い多いわりには、付き合うまで発展しないよなー。新くん可愛いーとか言われるばっかでさ』 『うっ…。だ、だって。それは…』 『お前はモテるけど、本気になられる対象じゃないんだよなー。やっぱさ、俺のよーに、オトコとして好きになられなきゃ!』 『ぶ~…。お前、調子に乗りすぎっ!お…オレだって、本気出せば…』 『ん?ナニかなぁ?本気出せば?どうなっちゃうワケ?』 『お、オレだって!本気出せば、彼女なんてすぐにできるもん!』 『お、言ったな~?…お前、夏休みは部活で横浜行くんだよな。どうせなら、そこで可愛い彼女でも作って、今の言葉証明してみせろよ!…できないー、なんて言わないよな?』 『いっ…言わないよ!わかったわかった、その話乗った。オレ、横浜で可愛い彼女ゲットしてくるからね!目にもの見せてやる!』 『よーっし。お前にカノジョできたら激辛カレー5皿奢り!できなかったら、俺にカツ丼5杯な!』 『よしきた!』 女の子は、みんな同じように可愛い。 どのコも好きだけど、ダチの言う通り、オレにとっての「たった一人」がいないのは事実だった。 考えてみたら、オレって何気受け身なのかも。 声をかけるのは得意だけど、その先は誘われたら応じる、ってだけだし…。 メールだって、最初は「男の子なのにこんなにメールが好きなんて!」って喜ばれるけど、オレの鬼メール魔っぷりに大体ついてこれなくなって、いつの間にか返信されなくなっちゃったり。 彼女、かあ。 ダチの様子は見てたけど、みんなで仲良くするオレと違って、狙った子だけにモーレツにアタックしてたなー。 やっぱり、「彼女作りたい!」って思ったら、このコと決めた一人に超絶アタックするのがいいのかな? ………よーし! 決めた! この夏は、オレのただ一人をゲットするために、頑張っちゃうぞ! 「かっなでちゃんっ!」 「わっ!」 ばふ!と後ろから抱きしめられて、かなではもがいた。 「も、もう!離してよ、新くん!い、いきなり抱きついてこないでよ、びっくりしちゃうよ!」 「えっへへ、だって~。かなでちゃん、ちっちゃくて可愛くて、つい抱きしめたくなっちゃうんだもんっ♪」 かなでは駅前で練習を終え、帰ろうとしているところだった。 地方大会での対戦校、至誠館のメンバーであり、ハルのいとこでもある新は、出会った当初からかなでにべったりだった。 ハルや火積がいてくれている時は咄嗟に新を止めてくれるのだが、彼らがいないところではかなではなすすべもない。 しかも最近では、止める人がいないことを狙ってやってくるような気もする… すっごくイヤ、というわけではないが、 やはり公衆の面前で抱きついてきたりするのは恥ずかしいのでやめてほしい。 「もう…新くん…」 「?」 にこ、と悪びれもせず微笑まれると、怒る気にもなれない。 「かなでちゃんてばツれないよね~。せっかくの夏休みなんだしさ、もっとはっちゃけちゃおうよ?」 「…夏休みっていっても。練習しなきゃいけないし…」 「う、うん。練習の邪魔をしたいわけじゃないよ!でもさ、息抜きの時くらい構ってくれてもいいってゆーかー」 「…私、これから部室に用事あるから、行くね」 「部室?ハルちゃんたちもいるの?」 「ううん。楽譜取りに行くだけ」 「そっかぁ」 「………」 「………」 「………新くん。なんでついてきてるの?」 学院に向かう途中、ずっとスタスタとついてくる足音が聞こえていた。 かなではようやく振り向いて立ち止まる。 「えっ?オレもこっちに用事があるからさ~」 新はニコニコしながら言う。 「………そう」 かなでは気にしないようにしながら、学院へ向かった。 「…って、なんで学院までついてくるの?!」 結局、新は学院までかなでをつけてきた。 「だーから。オレもこっちに用あるって、言ったでしょ?」 ウインクひとつ。 つまりは、かなでについてきたかっただけらしい。 「こ…校舎の中に入ってきちゃだめだからね!さすがに怪しまれちゃう!」 「わ~かってるって!じゃ、いってらっしゃい、かなでちゃん♪」 「………」 思いのほか聞き分けがいい。 じゃあね、とかなでは校舎内に入っていった。 「………ふう」 楽譜を探すだけなのに、やたら時間がかかってしまった。 あのごちゃごちゃな部室、どうにかならないものか… なんてことを律たちに相談したら、「そう思うなら掃除してくれ」なんて言われそうだ。余計なことは言わないに限る。 「かっなでちゃ~ん!」 「?!」 新だ。 てっきり帰ったものだと思ったのに、まだ正門前にいたらしい。 「あ、新くん。なんでまだいるの?!何してたの?!」 「べっつに~?うろうろしてただけ!」 「そ…そう」 「かなでちゃんはこれからどこ行くの?」 「えっ?もう帰るけど…」 「そっかー!じゃっ、オレも帰ろーっと」 「………」 にこにこしながらかなでの後をついてくる新。 かなでは複雑な気持ちだった。 新に好意を持たれているのは、彼のあからさまな態度からわかる。 でも… 幼い頃から、律や響也といった、男の子にばかり囲まれていたかなで。 だから、なのか。逆に、なのか。 男の子=恋愛対象というより、女の子の友達と変わらないものでしかない。 こんな風に、自分を女として見て、好意を持ってくれている男の子に、どう接したらいいのかわからないのだ。 恥ずかしいし照れるしで、つい不機嫌なように見せてしまう。 しかも新のアプローチは、普通の男の子より大袈裟というか、オープンというか… とにかく、かなでは困っていた。 「たっだいまー!」 「ただいま…」 寮に帰ってきたかなでたちをラウンジで迎えたのは、響也と火積だった。 「おー、おかえり。…お前たち、また一緒なのかよ」 「えっ?また、って?」 新は小首を傾げて言った。 「…出る時も帰ってくる時も、いっつも一緒じゃねーか。偶然にしちゃ、できすぎじゃね?」 「あははっ、やだなー。偶然じゃないもん!かなでちゃんと一緒にいたいから、わざとだもん♪」 「っ………」 新の物言いに、かなでは赤くなる。 響也はうんざりした顔で呆れていた。 「…おい、水嶋。星奏の生徒に迷惑かけんじゃねぇ…」 「わわわっ!迷惑なんかかけてないですよ、ね~っ、かなでちゃん?」 「(うっ…)」 キラキラした瞳で覗き込まれたら、「迷惑だ」なんて言えない。 「わ、私、汗かいちゃったから。お風呂入ってくる!」 「じゃあオレもかなでちゃんと一緒に…」 「水嶋………」 「わあっ!さ、さすがに冗談ですよう~!」 危うく火積の鉄拳から逃れ、自室に飛び込んだ。 どさりとベッドにダイブする。 「かなでちゃん、なかなかオレのこと見てくれないな~…」 新は携帯を見ながらぼやいていた。 「なんでだめなのかなぁ。たっくさん、可愛いーって言ってるのにさぁ」 枕を抱きしめて、ベッドをごろごろと転がる。 「それにさー。今まで出会った女の子たちは、オレが声かけたらすぐ仲良くなれたのにー…。何がいけないんだろ?」 ♪♪♪♪♪… 「はいはーい!もっしー?」 仙台の友人からの着信。 憂鬱な気分を紛らわすように、明るく答えた。 『よー、新!どーよ、横浜ライフは?』 「うん、ハイパーサマー!」 『で、彼女はできたか?』 電話越しにニヤニヤしている友人の顔が容易に想像できて、新は口ごもった。 「うっ…それは…。ま、まだ、できて…ないけど…」 『わはははは!だろーなー、横浜行ってすぐ彼女なんかできるわけないよなー!』 「むう…。で、でも!彼女候補ならできたもん!」 『お、そうなのか?』 「そーだよー。えっへん。全国大会で知り合ったコなんだけどさー。ちょっとおこりんぼだけど、ちっちゃくて頑張り屋さんで、とーっても可愛いんだから!」 『そんな子、今までだっていたろ~?………まぁ、いい。今日はそんなことで連絡したんじゃないんだ』 「なになに?」 『実はさ~。彼女の親戚が横浜に住んでるらしくて!夏休みに、一緒に遊びに行かない?なんて言われちゃってー!』 付き合って早くも遠出でデートだぜ!なんて、友人はかなり舞い上がっている。 「まじ?!じゃあ、こっちで会おうよ!」 『もっちろん。ラブラブっぷりを見せつけてやるぜ!現地に行く前、また連絡するよ。じゃな!』 「………」 通話を終えて、新はため息をついた。 「なんだよなんだよ。ここぞとばかりに自慢しちゃってさぁ」 オレだってオレだって! …でも、いいなぁ。 夕食に呼ばれるまで、新はずっとその二言を繰り返していた。 「やあ、小日向」 「………?ニア。珍しいね、そっちから部屋に来てくれるなんて」 ニアは狭いところをするりとすり抜ける猫のようにして、かなでの部屋に入ってきた。 宿題をする手を止めて、ニアに向き合う。 「何か用?」 「ふふ。…今日の午後、ベストショットが撮れたのでな。見せにきてやった、というわけだ」 「ベストショット…?」 ニアのデジカメの画面を覗き込むと、そこには。 「な………っ」 「君と水嶋が、白昼堂々、往来で抱擁する場面さ」 新に抱きすくめられているかなで。 どこにいたのやら、ばっちり写っている。 「ちょ…ちょっと!勝手にこんなもの撮らないでよ!っていうか、見てたなら助けてよ!」 「助ける…?なぜだ?」 「だって…。これは、新くんが無理矢理…」 抱き着いてきたんだもん、と言うと、ニアは意味ありげな含み笑いをしながらかなでを見た。 「…な、なによ」 「小日向。なぜ君が水嶋をそうも拒絶するのかわからんな。なんだ、あいつは好みじゃないのか?」 「こ、好みとかそういう問題じゃっ!………こういうことされた時、どう反応したらいいのかわからないじゃない…」 「反応?嫌なら嫌と、きっぱり拒絶してやればいい。されていいなら、抱きしめ返してやればいいのではないのか?」 「…そう簡単に言うけどね」 そんな単純な話じゃないんだよ、とかなでは膨れた。 「君はなかなか堅物のようだな。水嶋悠人にそっくりだ。なれば、水嶋新との相性もいいのかもしれん。君がこれから、水嶋新にどうほだされてゆくのか…これは、いいネタになりそうだ」 ふふん、とニアは妖艶に笑う。 「ほ、ほだされるわけないから!面白がらないでよね!…ほらっ、宿題があるから!出てった出てった!」 ニアを部屋から追い出すと、かなでは机に向かった。 すぐに宿題を再開しようとしていた手は、止まったまま。 嫌なら嫌と、きっぱり拒絶してやればいい――― 実際のところ、自分はどうなのだろう。 やめて、と新を止めるのは、恥ずかしいからであって、それ以外の感情を認識するどころではない。 可愛い、なんて言われるのも、照れてつい邪険にしてしまうだけで。 本当の自分は、新のことをどう思っている? ………答えはわからない。 しかし、新が本気で自分のことを想ってくれているのなら、いつまでも「恥ずかしい」「照れる」の理由で邪険にし続けるのも、彼に悪い気がした。 「(ちゃんと話をする前に新くんがああいうことをしてくるから―――こんなややこしいことになるんだよ…)」 もしかしたら、こんなに悩むことではないのかもしれない。 けれど、かなでは誰よりも真剣で、誰に対しても誠実でありたい、そう考えている。 新に翻弄されるのは、いわば必然、の結果だった。 「かなでちゃ~ん、今日はどこで練習?」 「………」 かなでが寮を出ようとすると、今日も新がついてきた。 「今日は…山下公園で…」 「そうなんだ!じゃっ、しゅっぱ~つ!」 やはり今日も一日、ついてくるつもりらしい。 いきなり抱きつかれたりしないのであれば、ついてくる分には構わないのだが…。 ♪~♪♪♪~… 練習をするかなでのそばのベンチに座り、新はずっとニコニコしていた。 聞かせる演奏というよりは、ただの練習で、聞き苦しいところばかりのはずなのに… 新は他の場所に行こうともせず、ずっとかなでの練習を聞いている。 「…ねえ、新くん」 弓を止めて、かなでは言った。 あれ、やめちゃうの?という顔で新はかなでを見る。 「一日中私の近くにいて…ずっと練習聞いてて………楽しい?」 「えっ?」 「他にも、新くんが好きそうな、楽しい場所…あるよ?せっかく仙台から横浜まで来たのに…毎日こんな風に過ごしてたら、もったいないんじゃない?」 それは、新を突き放したいがために嫌みを言ったわけではなく、かなでの本心だった。 新は楽しいことが大好きで、いつも面白いことを探していて…それがわかっているからこそ、一日中自分の下手な演奏を聞かされるだけでは、可哀相な気がしたのだ。 だが… 「なーに言ってんの、かなでちゃん!楽しいに決まってるじゃない!」 新は満面の笑みで語った。 「ほら、オレさ。ハルちゃんちにはよく遊びにくるから…。だから今更観光!ってこともないし。…きみのそのヴァイオリンが聞けるのは、この夏だけでしょ。それを聞かない方が、もったいないって。他の楽しいことよりも、もっともーっと、レア!」 「………」 なんで、こんな風に言ってくれるんだろう。 かなでは新の言葉に聞き入っていた。 「それにね、きみの音は明るくて、ぱーっとしてて…。今まであったいろんな楽しいこと、思い出させてくれるような演奏してくれるんだよ!映画一本見るより、ずーっと楽しいんだから!」 「新くん…」 かなでは俯いた。 嬉しい――― そんな気持ちで胸がいっぱいになって。 たとえ新が、気に入られたいからおだてているのだとしても、彼の言葉は嬉しかった。 でも―――彼が心から言っていると信じてしまうのは、自惚れだろうか。 「………かなでちゃん?」 なぜか元気がなくなってしまったかなでが心配になり、彼女の顔を覗き込む。 「どした?…オレ、なんか変なこと言っちゃった…?」 珍しく、悲しげな顔。 こんな時こそ「大丈夫~?」なんて抱きついてこようものなのに、新はかなでに一切触れない。 「(新くんって…本当は…)」 “水嶋新にどうほだされてゆくのか―――” その時、ニアに言われた言葉がかなでの脳裏を過ぎった。 「(そ…そうだよ!新くんは、こうやって私の気を引こうとしてるだけかもしれないじゃない!)」 我に返ったように、かなではヴァイオリンを片付け始めた。 「か、かなでちゃん?」 突然の行動に驚いている新を置いて、かなでは走り出した。 「かなでちゃん!」 今まで、抱きしめたりすることを牽制されたり拒まれたりすることはよくあった。 けれど、こんな風にいきなり置いていかれるのは初めてのことだ。 胸が、きゅうっと締め付けられる。痛い。 「(オレ…、かなでちゃんに、いやなこと言っちゃったの…?)」 そう思った瞬間、新も走り出していた。 謝らなきゃ。ただ、その一心で。 「(私はほだされたりなんかしない!軽い言葉に乗せられて、いい気分になったりなんか…しない!)」 自分の中に芽生えた気持ちを否定したくて、かなでは走った。 「かなでちゃん!」 「!」 新が追い掛けてきている。 彼の足になら、たやすく追いつかれてしまうだろう。 けれど、こんなぐちゃぐちゃな心のまま彼と向き合ったら、どうなるかわからない。 こういう時の対処法なんて、わからない。 慣れて、ないから――― すぐ先の信号は、もうすぐ赤に変わろうとしていた。 あれを渡り切ってしまえば、きっと新には追いつかれない。 かなでは前も見ずに走った。 「危ない―――っ!」 新の叫び声が聞こえた瞬間、かなでは驚いて立ち止まった。 しかし、もう遅かった。 左折しようとしていた車は、既にかなでの目の前に――― 急ブレーキの音と、体が浮くような衝撃。 私、轢かれちゃったんだ。死んじゃうのかな。 事故の瞬間、思考は案外冷静なもの。 「………。………?」 すぐに激痛が自分の体を襲うのだろうと思っていたかなでは、体になんの痛みもないことに気づく。 そして… 「かなでちゃん…。大丈夫………?」 ざわつく歩行者の声も、耳に入らない。 ただ、新のその言葉だけ。 かなでの体は、ヴァイオリンケースごと新に守られていた。 かなでの体は新に強く抱きしめられ、彼の体の上に。 かなでに下敷きにされながら、新は体を丸めている。 「………!」 「だっ、大丈夫かい、君たち!」 かなでがぶつかりそうになった車の運転手が慌てて降りてきた。 「だ、大丈夫です。車にはぶつかってないし…。急に飛び出して、本当にすみませんでした」 そう返したのは、かなでではない。 新だ。 新はかなでの体をそっと離し、ぴょんと立ち上がった。 「ね、どこもなんともないでしょう。スライディングした時に、ちょっと腕を擦りむいただけですよ」 かなでは呆然としてしまい、何もできなかった。 「あてててっ!染みる~!」 騒動が収束してから、かなではようやく我に返った。 そして、新を寮まで引っ張ってきた。 「ちょっと我慢して。…はい、消毒するから」 「うぁつつつっ!」 この時間のラウンジは、まだ誰もいない。 急いで救急箱を探し、新のケガの手当てをした。 「………これで、よし。新くん…。本当に、他に痛いところないの?」 「ないよ~?ちゃーんと体丸めて、車にも当たらなかったし。それより、かなでちゃんは?!痛いところとか、ない?」 「ないよ。…ヴァイオリンも大丈夫」 「アザとかも?」 「うん。どこも…なんともない。新くんが、かばってくれたから…」 「そっかぁ。………よかった」 新は悲しげに顔を歪めた。 「きみにアザ一つでも作っちゃったら、オレ、どうしようかと…。よかったよ、きみが無事で」 「………」 かなでは俯いた。 「…どうして、怒らないの?」 まだかばってくれたお礼のひとつも言っていないかなで。 なのに、新はかなでの行動を責めないばかりか、ケガの心配までしてくれている。 「お、怒る?!なんで?!」 「勝手に走り出して、前を見ずに飛び出して、車に轢かれそうになったのに…」 「だって、あれは。………オレのせいだから」 「………え?」 「オレが…かなでちゃんを怒らせるようなことを言っちゃったんだよね。だからきみは…。謝らなきゃいけないのはオレの方だよ。…本当に、ごめん」 「………違うよ。新くんは何も悪くない」 かなでは、恐る恐る新を抱きしめた。 「(えっ………?!)」 いつもは、新がかなでにこうして。 でも、そうするたびにかなでは迷惑そうに離れていって… 新は、かなでの突然の行動にかたまった。 「私のせいでこんなケガをさせて…本当にごめんね。それから…守ってくれて、ありがとう」 いつもの新ならきっと、ここぞとばかりに彼女を強く抱きしめ返していたに違いない。 けれど、できなかった。 今まで感じたことのない胸の高鳴り。 顔は、燃え上がってしまいそうに熱い。 柔らかなかなでの体に包まれたこの体を、動かすことなんてできない。 かなでは新から離れると、ぎこちなく微笑んだ。 「嬉しかった。…新くんが、私の演奏…好きだって言ってくれたこと」 「(かなでちゃんが…。やっとオレを、見てくれた………!)」 嬉しくて嬉しくて――― こんな時、普通なら体を動かしたくて仕方なくなってしまう新。 でも、気づいた。 「(本当に嬉しい時って、違うんだ…)」 ほんのりと暖かくなった胸の内を確かめるように、新は胸を撫で下ろした。 「………かなでちゃんのヴァイオリンも好きだけど。かなでちゃんのことも、大好きだよ」 可愛い、なんて軽口を叩く彼の顔ではなかった。 恥ずかしそうに、でも真っすぐかなでを見て、新は言った。 かなでは、「またそんなこと言って」なんて怒ったりしなかった。 新を真っすぐ見つめて、こそばゆそうに微笑んだ。 ―――あれから。 どちらともなく、我に返ったように恥ずかしくなって、つい「私部屋に戻るね!」なんて慌てて部屋に飛び込んでしまったが… 「(新くん…。傷、痛くなってないかな。膿んだりしないといいけど…。あれからどうしたんだろう、まだラウンジにいるのかな…)」 ずっと、新のことばかり考えている。 かなでには、もうわかっていた。 「(私…。新くんのこと、好きなんだ…)」 そう自覚させられてしまったら、後は簡単だった。 きっと、彼を好きになるのを、どこかで怖がっていたんだ―――そう、理解するのは。 初めて、男の子に女の子扱いをしてもらって。 優しくされて、毎日ついてくるぐらい好意を持たれて。 ノリが軽い新のこと。自分が変な勘違いをしているだけだったらどうしよう、と、傷つくのを恐れていただけだったんだ。 でも、新は言ってくれた。 ノリではなく、ちゃんとかなでの目を見て、「大好きだよ」、と。 夕食の時間になり、かなではラウンジへ向かった。 他の生徒もほぼ集まっていて、新も既に席についている。 「あ………」 かなでの姿に気づき、新が顔を赤らめる。 かなでは、恥ずかしくて目をそらしてしまいたくなったが、ちょっぴり頑張って、ぎこちなく笑ってみる。 まだ上手には笑えないけれど、新はそんなかなでの笑顔に顔を綻ばせた。 「………」 「………!」 かなでは、新の隣の席に座った。 まさか隣に来てくれるとは思わず、新は驚く。 「………はい」 それから、かなではおかずをよそって、新へ手渡す。 一連のかなでの行動に、新よりも他の生徒の方が驚いていた。 「あ…ありがとう…」 新は小さな声でお礼を言って、恥ずかしさのあまり縮こまってしまった。 「(み…水嶋…)」 近くの席で二人のやりとりを見ていた火積は、目を丸くしていた。 普段の新だったら、まずかなでが隣に座っただけで「やったー!かなでちゃんが隣に来てくれたー!」とか喜んで… 更に、おかずをよそわれでもしたら「あーん♪」なんて調子に乗るはずなのに…。 火積の鉄拳は準備万端だというのに、どうしたらいいのか。 「…ケガ、どう?」 「う、うん。全然、大丈夫…」 「まだ左腕でよかったよね。包帯、緩くなったら言ってね。巻き直してあげる」 「あ、…ありがとう」 食べたいおかずがあったら言ってね、取ってあげる、などと言いながら… かいがいしく新の世話をするかなでを見て、他の生徒はご飯を食べるのも忘れて静まり返っていた。 「(な…なんなんだよっ!どうしちまったってんだ!)」 「(さ、さあ…。天変地異の前触れじゃないすか…)」 狩野と火積はひそひそ話しながら二人を観察した。 「…?水嶋、その腕。どうしたんだい?」 やや遅れてラウンジに入ってきた八木沢が、新の腕を見て心配そうに言った。 あ、と話し出そうとするかなでを遮り、新は答える。 「あっ、あの!…オレ、今日公園で派手に転んじゃって!腕、擦りむいちゃったんです!」 「そうなのかい?気をつけなきゃだめだよ。遠征で浮足立つ気持ちはわかるけれど、あまりはしゃがないようにね」 「はいっ!」 新は、こっそりかなでにウインクした。 「………新くん、おかわり、いる?」 「う、うん。ありがとう…」 「お、おい、新!」 夕食が終わり、部屋に戻ろうとした新は、狩野に首根っこを掴まれた。 「わわっ!な、なんですか、狩野先輩っ!」 「お、お前!一体どうしたってんだよ!」 他の至誠館のメンバーも、新を囲んでいた。 「ど、どうしたって…?」 「な、なんか!やたらクールになっちゃってさ!いや!本来はクールじゃないんだろうけど、お前にしたらクールっていうか!」 「く、クール?べ、別にそんなんじゃ」 「それに!小日向さんのあの態度!二人の間に何かあったとしか思え~んっ!」 「………。………えへへ」 かなでの名を聞き、新はだらしなく笑った。 「な、なんていうかー。かなでちゃんが、ちゃんと俺のこと見てくれるようになった、っていうかー」 「う、嘘だろお?!なんで新なんかがっ!」 「ちょっとぉ、新なんかがってなんですかー」 「でも、水嶋」 傍観していた八木沢が、前に出た。 「明るいのも君の持ち味だけれど、落ち着いた雰囲気の君もなかなかいいと思うよ」 「えっ?!」 八木沢の褒め言葉に、新は舞い上がる。 「そうだよね…。落ち着いてる新くん、なんだかかっこいいなって思ったよ」 「い…伊織せんぱ~いっ!」 新は、ありがとうっ!と伊織に抱きついた。 「全然落ち着いてねえじゃねえか…」 「ふふっ。小日向さんがいないからかもしれないね」 翌日。 いつものように、新はかなでと一緒に寮を出ていった。 かなでも快く応じていた。 そんな二人の姿を物陰から見送ったニアは、一人ほくそ笑む。 「小日向め。恋する乙女の目をしていたな」 予想通りだ、とニアは満足げに笑った。 「新くん、アイス食べない?…ちょっと休憩しようと思って」 「うん!オレ、ダブルにしちゃお!」 新は、以前のようにかなでにいきなり抱きつくようなことをしなくなった。 というより、昨日のことがあってから、妙に恥ずかしくなってしまい、できなくなったのだ。 以前の自分を思い出すと、なんであんな恥ずかしいことを堂々とやっていたのかと、不思議に思うくらい。 迷惑そうにしていたかなでの気持ちも、今となってはよくわかる。 「私もダブルにしようかな」 「おそろいだね!うーん、何にしよ~…」 アイス屋の前まできた二人は、メニューを見て唸る。 どれも美味しそうで、2つにしぼるなんて難しい。 「私は…。あずきプルートとヴィーナスグリーンティー…にしようかな…」 「和風だね~!オレもヴィーナスグリーンティー、いいな~って思ったんだけど…デイブレイク・セサミとサテライト・フィグに決めた!」 「す、すごい組み合わせ…。でも、私もその二つ、気になってたんだよね。新商品だし…」 「あっ、じゃあ二人で…」 言ってから、新ははっとした。 かなでも迷っているから、二人で食べさせ合いすればいい…と提案しようとしたが。 …その図を頭の中で想像したら、たまらなく恥ずかしくなってしまった。 かなでも同じことを考えたのか、赤くなっている。 「と…とりあえず、買おっか!」 決めたアイスを買って、食べ始める二人。 「………うん!おいしいよ、あずきも抹茶も」 「ごまといちじくもおいしいよ~♪」 新商品当たったね、と微笑み合う。 と、かなでは新のアイスをじっと見つめてから、恥ずかしそうに新の顔を見た。 「あ…あの。私も、新くんのアイス…少し食べてもいい?」 「っ………!う、うん!いいよ!」 はい、とアイスを差し出す新。 かなではありがとう、と新のアイスをスプーンですくった。 スプーンにのせられたアイスがかなでの口へ運ばれる動作を、無意識に追ってしまう新。 「………ん。おいしー♪」 目が合って、つい赤くなってしまった。 「新くんも食べる?私のアイス」 「い…いいの?」 「もちろん」 はい、と自分のアイスを差し出す。 新は、じーっとかなでのアイスを眺めたまま、何もしない。 「………?」 「あ、あのさ。かなでちゃん…」 「………。仕方ないなぁ。…あーん、して?」 「!」 考えていることを読まれてしまった!と、新は慌てる。 しかし、そうしてほしくて言い出せなかったのは事実。 以前なら、「食べさせて!」なんて軽いノリで言えてただろうに。 自分のことながら、突然の変化に戸惑ってしまう。 しかし、せっかくかなでが食べさせてくれるというのだから、乗らない手はない。 「あーん…」 「よ、っと」 背の高い新のくちもとにアイスを運ぶのは一苦労。 かなでがゆらゆらと背伸びをしているのを見て、新は軽く背を屈めた。 「ん。………おいしい!」 「だよね」 二人で微笑む。 …口の中に入ってきたスプーンを必要以上にくわえてしまった自分がいやらしいな、と嫌悪した。 「ねえねえ!見て、あのカップル!」 「か~わい~♪女の子がちっちゃくて男の子が背高いんだ。身長差が萌えるね~」 そんな声が聞こえてきて、ここが人通りの多い場所だと思い出して、二人は照れた。 「(今まで、今いる場所が人通りが多いことなんて、忘れることなかったのに…)」 二人の時間に夢中になっていたからだろうか。 「こ、今度はさ」 「ん?」 「クイントゥープルでも頼んで…二人で食べる?」 「ひとつ、買って?」 「う、うん」 「………いいよ!また来ようね」 二人でいるのがこんなに楽しいなんて。 もちろん、今までも女友達や男友達と過ごして楽しいと思ったことはたくさんあったが、今新と一緒にいる楽しさは、過去のどれとも違う。 「(これが…。恋、なんだ)」 その後も、二人は… いつも一緒に過ごした。 しかし、遊んでばかりのわけではない。 かなでがヴァイオリンの練習をしている時は、新はおとなしく彼女の演奏を聞き…。 以前と変わらず、練習の邪魔をするようなことは決してなかった。 そのおかげか、はたまた違うものの効果なのか。 セミファイナルも、神南高校に圧倒的な差をつけ、勝ち上がることができた。 そんな中、新はある決意をしていた。 「(8月…。半分過ぎちゃったんだ…)」 真夜中を過ぎても眠ることができなかった新は、なんとなく携帯を眺めていた。 携帯のカレンダー機能を起動して、わかっていたのに気づかないふりをしていたことを、まざまざと見せつけられる。 夏の終わり、それは――― かなでと離ればなれになることを示していた。 かなでのことが好きすぎて、今だって眠れないくらい。 一日の大半をかなでと過ごし、一緒にいられない時間すらかなでのことばかり考えている。 新の心は、かなで一色で染まっていた。 彼女と離れることになるなんて、考えられない。考えたくない。 ―――でも。 時間を止めることなんて、誰にもできない。どんなに来ないでほしいと思っても、その日は確実にやってくる。 「(いつまでも、うじうじしたオレじゃ、きっとかなでちゃんに嫌われちゃうよね………!)」 そう思った時、自分の中の何かが覚醒した気がした。 “離れても、ずっときみを想い続ける―――“ そんな証と、誓いをたてよう。 「(本当に…、大好きで、大好きなんだよ、かなでちゃん…)」 ヴァイオリンを弾くかなでを、携帯で写した画像。 それを表示させ、かなでの額の辺りにキスをする。 そして、携帯を抱きしめ、新は眠りについた。 「(明日は森の広場で練習して、アンサンブルは音楽室で…あ、それだと新くんが…)」 明日の予定を決めながら、スケジュール帳に書き込む手が止まった。 …本当に、新のことで頭がいっぱいの自分に笑う。 恋をしたんだ、と自覚してから、 やたら買い込んでしまった、恋愛特集をしているファッション誌や占いの本。 そんなことをしたからといって何かが変わるわけでもないのに、何かをせずにはいられない、このワクワクした気持ち。 新にもっと褒められたいと思って、ヴァイオリンだってたくさん練習した。 以前なら考えられなかった、自分の姿。 今が楽しくて、ずっと今のままがいいのに、そんな風に考えたことなんてなかった。 でも… 夏が終われば、彼は仙台へ帰ってしまう。 毎日一緒に過ごすことなんて、なくなってしまうのだ。 新のいない日常の自分なんて、想像もつかない。ただ、夏が始まる以前に戻るだけだというのに。 人恋しくて泣いてしまう自分なんて想像したこともないが、今じゃ新がいない日々を考えただけで泣きそうになる。 かなでは、初めて知った恋に、喜びと少しの恐さすら感じていた。 「(まだかなぁ…)」 朝、新は珍しく「今日は用事があるから、夕方に駅前で会おう」と言われた。 一緒に行く、なんてわがままなことを少しだけ漏らしたら、新は嬉しそうな顔をして「だめだよ♪」なんて言っていた。 待ち合わせの時間を少し過ぎただけなのに、かなでは早く新に会いたくてもじもじしていた。 「か、かなでちゃん!お、お待たせ~っ!」 「やっと来たぁ。もう、遅いよっ!」 むくれて見せると、新は困ったように顔を赤くする。 待ち合わせ時間にはさほど遅れていないのに、かなでのこの態度。 どれだけ自分に会いたいと思っていてくれたか―――わかってしまうから。 「ごめんね、遅れて。そのお詫びに…はい、ジュース」 「ありがとう!」 「ご機嫌直った~?」 「うん♪…今日は、どこか行く場所決めてあるの?」 「元町公園に行きたいんだ~!いい?」 「うん、いいよ。今度でいいんだけどさ、海行きたいなぁ。昼間の海もいいけど、夜の静かな海!」 「あっ、それもあったか…」 「?」 「な、なんでもない!今度一緒に行こ?とりあえず今日は、元町公園にしゅっぱ~つ♪」 新に連れてこられたのは、元町公園。 山下公園よりも小さく、人が少ないこの公園は、この時間更に人が少ない。 カップルで歩くには、絶好の場所。 「オレね。かなでちゃんに話したいことがあってね」 「ん?なに?」 「えーと、その。あの………」 「なにー、新くん?」 大好きだよ、って言葉にするのは こんなに難しくて勇気がいることだっけ? 新は、なかなか切り出せずにいた。 「…夏が終わったら、新くんは…仙台帰っちゃうんだよね」 まだ?と急かされると思ったのに、かなでの口から出たのは意外な言葉だった。 「そしたら…。私たち、離ればなれなんだよね。私、今すごく楽しい。新くんと一緒にいられて、すごく楽しい。でも」 「かなでちゃんっ!」 「え…」 新は立ち止まり、かなでの正面に立った。 「オレ………、かなでちゃんのことが大好き」 「っ………」 「もし、きみも同じ気持ちなら。その………お、オレと、付き合って下さいっ!」 ばさり、と深く頭を下げる。 きっと、かなでちゃんも同じ気持ちのはずだ。 だけど、違ったら―――断られたら、どうしよう。 そう思ったら、怖くてかなでの顔を見れなかった。 「………私」 小さな声で、かなでが発した。 「私も…同じ気持ち。っていうか…。今更………だよね?」 「………!」 新が頭を上げると、かなでは泣きそうに微笑んでいた。 「かなでちゃん………じゃあ、オレの彼女に…なって、くれる?」 「………うん」 「やった…。やったあ」 どうしよう、泣きそう。 そう思ったけれど、ここで泣いたら決まらない。 新は、声を振り絞った。 「あのね、それでね――」 「あれ?新?」 「………。ああっ?!」 声のした方を見遣ると、そこには仙台にいるはずの友人が立っていた。 これからがいいところだったのに。 でも、これじゃあ告白を続けるわけにはいかない。 「…友達?」 かなではそんなに気にしていないようだった。 「う、うん」 「いいよ」 話しなよ、とかなでは快く手を差し出す。 ごめんね、と断ってから、新は言った。 「な、なんでお前がここにいるんだよっ!連絡、なかっただろ!」 「あはは、悪い悪い。彼女とラブラブしてたら、お前に連絡するのすっかり忘れててさぁ。ちなみに、今も彼女送った帰りってわけ。偶然だな!」 「…なんていうか、連絡なかったし。お前がこっちに来るってことも、すっかり忘れてたんだけど」 「友情の薄いヤツだな~。…つーか」 友人はかなでを見遣り、ニヤニヤと笑った。 「もしかして…。彼女できたのか?」 「うっ、うん!たった今…」 「まっさかマジで彼女作っちまうなんてな!話に聞いてた通り、可愛いじゃん!」 可愛いと言われて、私のこと話してたの?という目で新を見るかなで。 その顔は赤い。 「でしょ!オレの言った通りでしょ!」 「しかしなー。マジで彼女作るとは。お前には恐れ入ったよ、賭けはお前の勝ち!激辛カレー5皿、ちゃんと奢ってやるからな」 「う…うん…」 「(賭け………?)」 新の目が泳ぐ。 新の友人の言葉に、かなではかたまった。 「ちょっとからかってやろうと思っただけなのになー。まさか本気で横浜で彼女ョ作ってきてやるー、なんて言うとは思わなかったよ。いやっ、マジ恐れ入った!やっぱお前は女の子引っ掛ける天才だわ!」 「っ………。あ、あのさ。ちょっと、今…」 「ん?あ、ああ、ごめん。邪魔しちゃったな。じゃ、俺はこれで!」 パタパタと立ち去っていく友人。 新は、恐る恐るかなでの方を見遣った。 「私と付き合うことは………。新くんにとっては、賭け事だったの?」 「っ………!」 感情をなくした顔。 色をなくした目で、かなでは新を見つめていた。 「私に近づいてきたのも、好きだなんて言ったのも、さっきの言葉も全部…。賭けに勝つためだったの?」 「違う!」 慌てて否定するが、かなでの耳に入っていないことは明らかだった。 「おかしいと…思ったんだ。いきなり、好意を持たれるなんて…。全部…全部、私を『彼女』にするためのことだったのに…私、本気にして…」 かなでは俯いた。 「かなでちゃん!違うっ、オレはっ…」 「………本気に、して。私、新くんのこと………。やだ、恥ずかしいな…」 「かなでちゃ」 かなでが顔を上げる。 その顔を見て、新は目を見開いた。 彼女の可愛らしい瞳からは、大粒の涙がいくつもいくつも零れて。 車に轢かれそうになって、あんな怖い思いをした時さえ涙を見せなかった、気丈な彼女。 なのに――― 「(オレが………泣かせた………かなでちゃんを………っ!)」 「………帰るね。大丈夫、今度は車に気をつける」 ばたばたと走り去るかなで。 追い掛けなきゃ。そう思っているのに、新の足は動いてくれなかった。 かなでを泣かせた。傷つけた。 その罪悪感が、鎖のように絡み付いて。 「…ただいま」 肩を落として、ラウンジへ入る。 どこをどうやって帰ってきたのかもわからない。いつまで公園にいたのかすら。 どうしよう。どうやって謝ればいいんだ。 そう考えながら、ラウンジを見渡す。 「…ああ、お帰り。かなでは一緒じゃないのか?」 響也は菓子パンを頬張りながら言った。 「え…?かなでちゃん、まだ帰ってきてないの…?」 「ん、見てないぞ。俺、夕方前からラウンジでダラダラしてたけど」 かなでが寮に帰ってきていない…? 新は、踵を返した。 「お、おい。…なんだ?」 「(かなでちゃん…どこ行っちゃったんだ…!)」 あんな状態のまま寮に帰っていないなどと。 新は、街中を走り、探し回った。 闇雲に探すには広すぎる街。電車に乗ってはいないだろうと祈るしかなかった。 かなでと巡った場所を、ひとつずつ回る。 「(いない…。どこだ…)」 もう夕食が始まる時間。 先に寮に戻っているならば、それに越したことはないが。 いつも暇さえあればいじっている携帯で、連絡を取るということすら頭になかった。 “かなでちゃんを見つけなきゃ” その一心で、新は走った。 「(いない…、ここにも…!)」 思い当たる場所は全て探したというのに、かなでは見つからなかった。 もう9時だ。走り通しで、全身汗だくになっている。 うまく呼吸ができないくらい、肺も限界を迎えている。 それでも、新は諦めなかった。 「(あとは、………そうだ)」 『海行きたいなぁ。昼間の海もいいけど、夜の静かな海!』 今まで、一緒に行った場所ばかり探していたが。 これから行くはずだったところだけ、まだ探していない。 「(頼む………そこに…いて!かなでちゃん…!)」 「(………はあ)」 泣きながらたどり着いた場所は、寮ではなく海だった。 夜の、ひとけのない浜辺。 普通だったら、いろんな意味で怖いはずの、夜の海。 今は、怖くない。それどころじゃない。 無意識にたどり着いた場所が、新と一緒に来たかった場所だなんて、惨めすぎる。 「(やっぱり…。恋なんて、するんじゃなかった…)」 傷つくのが怖くて、避けて通っていたままの自分だったら、こんな思いはしなかった。 …でも、もしあのままだったら。新と過ごした幸せな時間も、なかったのだろう。 「(けど…。あれは、新くんにとってはただ『彼女』って存在を作るためだけにしてたことで…。相手は誰でも…私じゃなくても、よかったわけで…)」 全ては、新の思惑通りだったということ。 そう考えたら、悲しすぎて涙が止まらなくなる。 「(好きだったのに。私は、本気で新くんが好きだったのに。…新くん、演技うますきだよ…)」 誰だって、本気にしちゃうよ。 そう、誰だって。 「(そろそろ、帰らないと…。夕飯の時間、過ぎちゃったし…お腹も空いた…)」 こんな気持ちの時でも、お腹は空くんだなぁ。 そう考えて、立ち上がった時だった。 「かなでちゃん!」 「新………くん」 びっしょりと汗をかき、肩で息をしている新。 かなでのそばまで重い足取りで近づくと、がくりと膝をついた。 「よかっ…た、いた………」 新の喉からぜえぜえ、ひゅうひゅうという音が聞こえる。 かなでは思わず新の顔を覗き込み、言った。 「ど…どうしたの、新くん!なんで、こんな…!」 「かなでちゃん…探して………、っ、あちこち………走って………」 「………!」 ずきりとかなでの胸が痛んだ。 後のことなど考えずに、激情のまま公園を走り去ったかなで。 新は心配して、自分を探してくれたのだ。 「(でも…新くんは…)」 こんなに疲労困憊している彼を前に、「本当は私のことなんて好きじゃないんでしょ」なんて憎まれ口は叩けなかった。 裏切られたような気持ちになったのは、かなでが新を好きだから。 「っ………、そうだ」 かなでは鞄からペットボトルを取り出す。 飲みかけだが、そんなこと気にしていられない。 かなでからペットボトルを受け取ると、新は一気に飲み干した。 「っ………は。ありがとう、かなでちゃん…」 まだ呼吸は荒いが、水分を取ったせいか少し落ち着いたようだ。 「………。どうして、探してくれたの…?」 「かなでちゃんが好きだから」 簡潔な答え。 かなでは新の目を見ずに返した。 「…私じゃなくても、よかったんでしょう。新くんなら、他にももっと可愛い女の子、いるんじゃないかな」 「かなでちゃん以上に可愛い女の子なんていないよ」 新の言葉には迷いがない。 そんなことを言ってほしいんじゃないのに。 新にそういう言葉を言われるたび、かなではどんどん惨めになっていく。 「…どうしてそんなに必死になるの?私なんかに。…私じゃなくたって」 「きみじゃなくちゃだめなんだ」 「!」 強く掴まれた腕。 それでも、かなでは新の顔を見ることができない。 顔を見たら、きっと泣いてしまうから。 「好きな子に、誤解されるのはいやだよ。オレが必死になる女の子は、きみだけだよ」 「うそだよ…」 「嘘じゃない。オレの目、見て?ちゃんと…見て」 「………」 恐る恐る新の方を向く。 真摯な瞳は、悲しげな色に染まって、 少しも揺らぐことなくかなでの瞳をとらえていた。 「っ………」 震える唇を噛み締める。 何か言ったら、その途端に涙が出てしまうだろう。 だから、かなでは何も言えなかった。 人前で泣くのは、嫌いだ。 「…かなでちゃん。ごめんね。あんな話されたら、きみが誤解するのも当然だよね。だから、本当のこと言う。きみに、ちゃんとわかってほしいから」 新の手が、かなでの腕をそっと離す。 ―――オレ、横浜に来る前に、友達にからかわれたんだ。 お前は女の子とすぐ仲良くなれて、女友達も大勢いるのに、付き合うまで発展しないよなって。 確かに、そうで… 女友達も、男友達も、みんな同じように好きで…だから、誰か一人と付き合うとか、そういうふうに考えたこと、なかった。 友達はちょうど彼女ができたばっかりで、それが羨ましかったってのもあった。 今まで、「みんな好き」ってだけだったけど、たった一人の「大好き」って気持ちを、知りたかった。 何がなんでも、夏休みが終わるまでには彼女作ってやるぞーって、意気込んでた。 それから、横浜できみに出会って… 外見が好みだったから、この子がいいやー、って。 …最初は、そんな感じだった。 友達は、一人の女の子に猛烈アプローチしてたから、オレもそういう風にすればいいのかなって、毎日きみについていって… 可愛いねって抱きついたり…。 信じてもらえないかもしれないけど、オレが今まできみに言った言葉は、全部嘘じゃない。 だけど、なんだろ。ある時から、「重さ」が変わっちゃった。 きみがオレを見てくれたって思った時から、「好き」が「大好き」に変わった。 今まで、誰かをこんなふうに思ったことないって、感じた。 それから、本当の意味で抱きしめるってことが…実はすごく恥ずかしいことなんだなって知ったんだ。 きみからもらう言葉を、全部正面から受け止めるようになってから、いつものノリでなんて答えられないようになっちゃった。 自分の変化に…戸惑ったよ。 でも、すっごく、すっごく嬉しくて。 これが恋なんだ、って…思った。 きみのことで頭がいっぱいで、きみといるのが楽しくて…離れたくなくて。 夏が終わったら仙台に帰るんだ、ってことが…怖くなった。 だから、証が欲しくなったんだ。 言葉で、オレの彼女になってほしいって伝えて。 それから――― 「………それから」 新の手が、かなでの手に重なる。 かなでの左手を握ると、新はズボンのポケットをまさぐった。 「…これ。きみがオレの彼女になってくれたら、離れてもずっと好きなんだよって証を…渡そうと思ってたんだ」 「……………!」 かなでの指にはめられた、シルバーの指輪。 華奢なかなでの指にも釣り合うシンプルな指輪は、夏の月に照らされて輝いていた。 「本当は…公園できみに告白した時、渡そうと思ってたのにさ。あんな邪魔が…。彼女を作ることを賭けてたなんて、自分でもすっかり忘れてたよ」 口を尖らせてうなだれる新。 かなでは、自分の指にはめられた指輪を、呆然と見つめた。 「…言葉で伝えるのは、これが限界。これが、オレの偽りない本心。これでも、オレのこと信じてもらえないなら………」 はあ、とため息。 「どうすればいいんだろう…」 「新くんっ」 「?!」 いきなりかなでに抱きつかれ、新はびくりとした。 「か、かなでちゃん…?」 「ごめんね…。ごめんね…!」 泣きたくなかったのに。 やっぱり、我慢できなかった。 ―――私は、なんてわがままで傲慢なんだろう。 どこかで、ちゃんとわかっていたくせに。新くんの気持ちが偽物なんかじゃないって。 変なプライドばかり強くて、新くんを心配させてばかりで。 それなのに、こんな時、きれいなお詫びの言葉一つ出てこない。 ただひたすら、謝ることしかできない。 もし新くんが、賭けで私を彼女にしていたのだとしても、別によかったじゃない。 私が新くんを好きなら、賭けだった、なんてどうだっていいことじゃない。 新くんが私を好きだという気持ちより、私が新くんを好きだって気持ちが大きいって思ったら…許せないなんて考えちゃったんだ。 そんなの、子供のわがままなのに。 そんな私を、新くんは見捨てずに、こんなに汗だくになるまで走り回って、探してくれた。 誤解を解く、だなんて。 私を探してくれただけで、充分なのに………! 「わあああああんっ…」 「か、かなでちゃん」 かなでは声を上げて泣いた。 子供の時でさえ、こんなふうに泣いたことはなかったはず。 新はかなでの背中や髪を撫でながら、言った。 「かなでちゃん、泣かないで…!きみに泣かれたら、オレ」 胸が、ぎゅっと苦しくなる。 どうしたらいいのかわからなくなる。 「オレ…っ。………うわああああん!」 新まで声を上げて泣き出した。 母親が泣いているところを見て泣いてしまう子供のように。 「うっく………ひっく」 「うっ、うっ…えっく」 気がすむまで二人で泣いた。 だんだんと落ち着きを取り戻して、どちらともなく目を合わせた。 「………」 「………」 「「ぷっ」」 同時に吹き出す。 目を真っ赤にして、腫らせて、酷い顔だ。 涙の後は、笑いが止まらなくなった。 笑いすぎて咳き込む新の背中を、かなでが撫でる。 「………新くん」 「やっぱり、きみにはいつも笑っててほしい。きみには、笑顔が一番似合うよ」 「………」 「怒った顔も、好きだけど。………あっ」 新は慌ててかなでから離れた。 「………?」 「ご…ごめん。オレ、いっぱい走ったから…汗臭いでしょ」 「ふふっ。そんなことないよ」 かなでは深呼吸をして言った。 「新くん。…心配かけてごめんね。新くんの気持ちを疑ってごめんね。新くんを悲しませて…ごめんね」 「かなでちゃん」 ひたすら謝るかなでに、新は困った顔でたしなめた。 「…謝ってもらうより、好きって言ってもらう方が嬉しいな、オレ」 「………。好き…。大好きだよ、新くん。新くんのこと、すっごく…大好きだよ」 自分で言ってほしいと言っておきながら、そう連発されると恥ずかしくなる。 新は赤くなって俯いた。 「これ…。ありがとう。私も、同じこと考えてたんだよ。夏休みが終わったら、新くんは仙台に帰っちゃう、どうしよう、って」 「きみも…?」 「毎日、新くんと一緒にいられるのが嬉しくて、楽しくて…。新くんと離れちゃうことなんて、考えたくなかったし、考えられなかった。新くんがいない毎日を過ごす私なんて、想像できないくらい」 「本当………?」 新の瞳がキラキラと輝く。 本当に嬉しそうな、彼の笑顔。 「でも…。私、新くんの彼女だもん。離れてたって、それは変わらないんだよね?だから、…この指輪見ながら、寂しいの我慢する」 「かなでちゃん…。オレ、嬉しい。嬉しいよ。本当に嬉しい時って、もう…何もできなくなる」 心は、爆発しそうに嬉しいと感じているのに。 切なさが邪魔して。 複雑に絡み合った想いが、胸をぎゅうぎゅうと締め付ける。 「………。新くんの指輪は?」 「えっ?オレの?…っ、かなでちゃんの分しか買ってないや…」 ただ、かなでに証を贈りたいとしか考えていなかった。 しまった、ペアリングにすればよかったのに…と、新は今更気づく。 「…明日、私が新くんの指輪、買ってくる」 「そ、そんな!かなでちゃんに買わせるなんて…」 「私も新くんに証を贈りたいもん」 「うっ…でも…」 新はしばらく考えこんだ。 「………じゃあ、かなでちゃん」 「ん?」 「キス………して?」 「えぇっ?!」 「恥ずかしかったら、オレがする。きみにキスさせてもらう、それがオレへの証!」 「えっ………えっ」 かなでは慌てた。 まさか、そんなことを要求されるとは。 「そうと決まったら、………目、閉じて」 「っ………」 かなでは真っ赤になりながら覚悟を決めた。 「………!」 ふわり、とかなでの前髪が額にくっつく。 …新は、かなでの額にキスを落としたのだった。 てっきり唇にキスされるものだと思っていたかなでは、すぐに目を開けた。 「新くん、」 「えっへへ。驚いた?」 「う…うん…」 「今のオレには、おでこで充分。ていうか、おでこが限界。おでこ以外の場所にしちゃったら、きっとオレ、嬉しすぎて頭おかしくなっちゃう」 照れ笑いして、頭を掻いた。 「だから…。夏休みが終わって、オレが仙台に帰って…その後、きみに会いにきた時は、また新しい証をちょうだい。それまでには、なんていうか…鍛えて、おくから!」 「………ふふ。わかった」 ―――本当に大事な人には、なかなか手を出せないなんていうけど。 オレ、そんなのウソだーって、信じてなかったんだ。 大事だったら、ぎゅーって抱きしめて、わしゃわしゃーってめちゃくちゃにして… 壊してしまうくらいに可愛がっちゃうでしょ、って思ってた。 でも、違うんだね。 本当に大事な人には、そぉーっと、そぉーっと。 ゆっくり、そのひとつひとつの行為を噛み締めるようにしちゃうんだね。 「………もう、帰らないとね」 「うん。…みんな、心配してるかな…」 「大丈夫!オレが連れ回しちゃいましたーって言うから」 「そ、それは…。だめだよ、私が悪かったんです、ってちゃんと謝る」 「ええーっ。オレが怒られた方が話が早いよ?」 「好きな人には、いやな思いさせたくないの!」 かなでは新の手を握りしめ、立ち上がり。 二人は手を繋いだまま、寮へ帰っていった。 新は、ひとつだけかなでに隠していることがあった。 かなでに渡した指輪の内側に刻まれた、小さな言葉。 “Eu sempre estou perto do senhor, meu amante” [件名] ヒャッホウ! [本文] 授業終わり~(≧∀≦) もー、一日の終わりが世界史とかサイアクだよねっっっ(´~`) さっき言ってたヤツってちゃんと解決した? あのねー、オレ最近学校にも充電器持ってきてるんだ☆ ずーっとかなでちゃんとメールしてるから、電池すぐなくなるんだもん(-_-) これから部活に行ってきまーす☆ 次の課題の曲、ちゃんと吹けるかなぁ… 火積部長怖い(´△`) 「よっ、新!」 「あ、お疲れオータム」 メールを送信し終えると、友人が話しかけてきた。 「なんじゃそりゃ。で、彼女とはうまくいってるわけ?」 「もっちろ~ん。一日100通くらいメールして、毎っ日電話してるもん!」 「マジかよ?!」 「オレねー。夏休みに病気にかかっちゃってさぁ…」 「はあ?…病気?なんの!」 「恋の病ぃ~…。地味にきついの、これが」 薬は一ヶ月に一度しか処方されないからさー、大変なんだー、と新は机に突っ伏した。 「…アホか。でもま、幸せそうでよかったじゃん!」 「えへへ。もーホント、幸せっ!………あ、返事きた!…え?指輪の言葉の、意味…?」 新は珍しく、返信に時間がかかってしまった。 どう隠し通そう、と。 「(教えてもいいけど…。メールで教えちゃうなんて、なんだかもったいないもんね)」 次は、ちゃんと言葉で伝えよう。 愛しい人よ、私はいつでもあなたのそばにいます―――――。 END |