Fairy's crown


「やったのだー!我輩もついに!長老オーロに昇格することができるのだー!」

ある朝、香穂子がいつものように登校すると、正門前でリリが嬉しそうに飛び回っている姿を見つけた。

「おはよー、リリ。どうしたの?なんかオーロラがどうとか」

「オーロラじゃないのだ、オーロなのだ。…このたび、我輩はめでたく長老のひとりに昇格することが決まったのだ!」

「…長老?だめですよ、おじいちゃん。そんなに飛び回ったら。高齢者は転んで骨折るだけでも命取りなんだから。寝たきりになったらそれこそ」

「うるさい嫁のようなことを言うななのだ!…我輩はまだピチピチなのだ。長老といっても別に、年老いている者がなるわけじゃないのだ!」

「そうなの?」

「我輩は今アルジェントという階級なのだが、今回オーロに欠員が出てな。12人と人数が決められているから、オーロにはなかなか昇格できるチャンスがないのだ」

「へえ。なんで今回昇格できることになったの?」

「団塊世代が引退するのだ」

「…ファータにもいろいろあるんだね」

「だが、もちろん全てのアルジェントが昇格できるわけではないのだぞ!音楽への貢献度を評価され、昇格できるのだ。我輩は評価された、というわけだな!」

「え~?リリが~?」

「リリが~?とはなんなのだ!我輩、この学院で大きなことを成し遂げたではないか!お前のようなド素人を、立派なコンミスに育て上げたのだ!」

「育て上げたって…。大半は私の努力でしょ!リリはファータショップでドーピングアイテムを売りさばいてただけじゃない。…ってことは、リリが昇格できるのは私のおかげってことだよね?」

「む…。そう言えなくもないのだ。まあ、お前には感謝していなくもないのだ。というわけで、我輩はこれから前祝いのパーティーに出席することになっているので、さらばなのだ!」

言うだけ言って、リリは消えた。

「…へえ、リリが長老かあ。…でも、長老になっちゃったら、この学院からいなくなっちゃうってことなのかな…」

 

 

 

 

 

 

 

そんな話を聞いた次の日。
香穂子がいつも通り登校すると、リリがファータ像の近くでこちらに背を向け、体育座りをしている姿が目に入った。

…なぜか陰鬱な空気を背負っているように見える。

「おはよー、リリ」

「………」

「どうしたの?前祝いパーティーで飲み過ぎた?」

「………」

リリはゆっくりと香穂子を振り向き、じっとりした目つきで語った。

「オーロに昇格する話がなかったことになったのだ………」

「…ええっ?!なんで!」

「………。昨日、少し遠出をして、ある山奥でパーティーを開催したのだが…」

「山奥ってアンタ…。この学院を守るって使命はどうなってんのよ。テコでもここを動かないんじゃなかったの?」

「それで…。ハメを外しすぎて…。ファータ協会から預かっていたオーロの象徴である冠をなくしてしまったのだぁぁぁ~!」

わんわんとリリが泣きはじめた。
香穂子は軽蔑の眼差しでリリを眺めている。

「うっかり飲み過ぎた我輩は、パーティーの終わりに吐き気を催して…、近くの川にすっきりしにいったのだ…。どうやらそこで冠を落としたようなのだが、酔っていたので気づかぬまま帰ってきてしまったのだ…」

「落とした場所がわかってるなら探しにいけばいいじゃない」

「勤務地を離れたことがバレたら、降格なのだ~!だから、めったなことでここを離れるわけにはいかないのだ!」

「(どっちにしろ昇格は無理なんじゃない…)」

「冠をなくしたことを正直に報告したら…、昇格はナシだと言われてしまったのだ…」

「………」

どんよりとほの暗い影を背負うリリを、香穂子は呆れ顔で見つめていた。

 

 

 

一方その頃…

「うわああああん!」

「ほら、泣くな。僕が取ってきてやるから」

星奏学院のある横浜からは遠く離れた田舎の山の中。
谷合に小さな川が流れている。
子供の足の付け根くらいまでの深さの、小さな川。

その川べりに、幼い子供が二人。

一人は男の子、一人は女の子、女の子は川を指さして大泣きしている。

男の子が微笑んで女の子の頭をぽんぽん、と叩くと、女の子は泣くのをやめておそるおそる男の子の顔を見る。
男の子は頷くと、川の中央に手を伸ばした。

川の中央の岩に引っ掛かった帽子。
気まぐれな風のしわざで、女の子の帽子が飛ばされてしまったのだった。

「よっ………と」

男の子は川べりから手を伸ばし、帽子を掴もうとする。
あと少し。あと少しだ。

女の子は、自分の帽子を取ろうとしてくれている男の子を、尊敬の眼差しで見つめていた。

「………よしっ!………うわあああ!」

「!」

ふらりとよろめいた男の子の体。女の子は咄嗟に目を覆う。

ばっしゃーん!
男の子は、苔のぬめりで足を滑らせてしまったのだ。

「…あーあ。おっこっちゃった。でも大丈夫、かなで、帽子は無事だよ」

「………りつくん!」

どこも濡れていない帽子を掲げて、誇らしげに笑う男の子。それを見て女の子は慌てて男の子に駆け寄った。

「く、来るな!かなで!」

「えっ!………きゃあ!」

ざぶん!
男の子に続いて、女の子まで川へ落ちてしまった。
また泣き出すんじゃないかと心配して、男の子は女の子を見つめる。

「………」

女の子はしばらくほうけた顔をして。
…やがて、笑い出した。

「あははははっ!うふふ、みず、きもちい~!」

「…かなで」

帽子は濡れていないというのに、女の子は全身びしょ濡れ。
男の子も呆れたように笑った。

「ほら、かなで。せっかくずぶ濡れになりながら取ったんだ、帽子は濡らすなよ?」

「うん!」

女の子は帽子を受け取り、浅瀬へ移動する。
ばちゃばちゃと水の冷たさを楽しみながらはしゃいだ。

男の子も、砂利に気をつけながら浅瀬へ移動した。

「(………ん?)」

その時、水の中で何かがきらりと光った。
男の子は体を屈め、光の原因を辿る。

「(…これは)」

銀色の指輪。
王冠の形をしたそれは、まるで妖精の王冠のように思えた。

指輪、なんて両親の結婚指輪くらいしか知らなかった男の子は、それがなんだかとても高価なもののように思えた。

拾ってもいいのかどうか、一瞬ためらったが…

「(…これを持っていたら、いいことがありそうな気がする)」

そう思って、男の子は水の中から指輪を拾い上げた。

 

 

 

そして、月日は流れ―――――

 

 

 

「やっほー。久しぶりー」

香穂子は、仕事の帰りに母校の星奏学院へ立ち寄った。
下校時間は過ぎているため、生徒の姿はない。
それもあって、香穂子は気安く正門前のファータ像に話しかけた。

「………ひどいのだ、日野香穂子。もっと頻繁に会いにきてくれなきゃ我輩寂しいのだー!」

リリはしくしくと泣きまねをしながら登場した。
相変わらず小さな妖精だが、世界には8年の時が流れている。
ちっとも変わりないリリの様子を見て、香穂子は少し安心した。

「私だって忙しいの、もう社会人なんだから。…それより、リリ。あんた、最近は学院の生徒に姿を見せてないんだって?」

寂しいなら学院の生徒に構ってもらえばいいじゃない、と香穂子が言うと、リリは俯いて首を振った。

「今時の若者は怖いのだ。お前たちの時代みたいに和気あいあいとしていないのだ。やけに大人なのだ。30代のサラリーマンに見えるくらいの生徒もいるしな…音楽のことについても好き勝手やっているようだから、我輩などいなくても…」

「さ、サラリーマン?…実際そんなに変わらないっしょ。私たちの時代にだって怖い人はいたよ?若干名だけど」

「と、とにかく!…我輩は隠居生活を送ることに決めたのだ!」

「ふーん、そう。じゃ、リリが変わってないこともわかったし、私帰るね」

香穂子が踵を返すと、リリは大声を上げながら立ち(?)はだかった。

「待つのだ日野香穂子!」

「わっ!な、何?!」

「大事なことを言い忘れたのだ!じ、実は、オーロの冠が見つかったのだ!」

「え…?」

8年前の話を思い出す。

リリがなくしたことにより、長老への道を閉ざされたという妖精の冠。
確か、遠くの山中でなくしたと聞いたが…

「ど、どこにあったの?」

「それが…、この学院の生徒が持っていたのだ!」

「ええ?!」

どういうことだろう。
しかし、見つかったなら取り返せばいい。

「その生徒に事情を話して、返してもらえばいいじゃない。もう返してもらったの?」

「それが…、その…、う~む…、さっき、ほら、話しただろう?」

今の学院の生徒には、姿を見せていないというリリ。
きっと、返してもらいたくとも姿を現すのが気まずいのだろう。

「わざわざ姿を現さずとも、勝手に取り返しちゃえばいいんじゃない?」

「そ、それはだめなのだ!…ファータは、人間に直接干渉してはいけないと言っただろう?元は妖精のものとはいえ、勝手に取り返したことが発覚したら…、今度こそ我輩は…!」

「はあ…」

「…頼む!日野香穂子!…その生徒に、冠を返してもらうよう、頼んでほしいのだ!」

「はあ?!私が?!」

…そんなこんなで。
香穂子は有無を言わさず、妖精の冠を取り戻すはめになってしまった―――。

 

 

 

 

 

 

 

「(も~っ…リリのヤツ…。たまには学院に寄ってみよう、なんて思うんじゃなかった!)」

翌日。
香穂子は下校時間に合わせて正門前で冠の持ち主を待ち伏せしていた。

名前は、小日向かなで。音楽科の2年生らしい。
かといって顔はわからないので、ちらほら出てきた生徒から情報を聞き出すことにした。

「あ、あの。ちょっとごめんね」

「…なんでしょうか」

キリッと鋭い眼差しを見せた生徒に怯んだ香穂子は、とりあえず免許証を取り出して身分を明かした。

「私、日野香穂子。学院のOGなんだけど…」

「OGの方…ですか」

話しかけた少年は、身分を明かしたにも関わらず訝しげな顔で香穂子を見ている。

「(なんで私がこんな怪しまれなきゃいけないのよっ!)…あの、怪しい者じゃないんだ。なんなら、理事長に話通してもらっても」

そこまで話して、香穂子ははっとした。
…リリも、最初から吉羅に頼めばいいじゃないか。

「いえ、別に怪しんでいるわけでは。なんのご用ですか?」

「えっと。小日向かなでさん…って、知ってるかな?きみ、音楽科の生徒さんだよね?」

「小日向先輩…?」

少年は驚いている。

「あっ、知ってる?!ねえ、どこにいるのかな?」

「小日向先輩なら、さっき………あっ!」

校舎側を振り返った少年は、大きく手を振りながら叫んだ。

「小日向先輩!」

遠くから、背の小さな少女がぱたぱたと駆けてきた。
…やけにあっさり見つかってしまった。彼女が、小日向かなでらしい。

「ハルくん!どうしたの?」

「こちらの方が、小日向先輩を探されていて」

少年に手を差し出されて、香穂子は会釈をした。

「?」

かなでは不思議そうに首を傾げて香穂子を見ている。
香穂子はすかさず、彼女の手元を見た。

「(………あった!)」

かなでの左手の薬指に嵌まっているもの。
それは、紛れもなく妖精の冠だった。

「じゃあ、僕はこれで」

「あっ、きみ、ありがとね!」

去っていく少年に礼を言い、香穂子はかなでに向き直る。

「あの…、何かご用ですか?」

「う、うーん。すんごく、言いにくいんだけどね…」

 

一応理事長室へ挨拶に行き、香穂子はかなでと二人で学院の屋上へ向かった。
吉羅とは久しぶりに会ったというのに、「ああ、君か。元気そうで何よりだ」の一言だけで、相変わらず他人に無頓着な人だ、と笑った。

香穂子は話を切り出すことに大変な勇気を要した。
今の学院の生徒にリリの姿は見えていない。妖精の冠かもしれない、なんて話、すぐ信じてもらえる方が不思議だから。

「えっと、日野さん。お話、って…」

「………。小日向さんのその指輪のことなんだけど」

「えっ?あっ、はい。これが…何か?」

「それ…、どこかで買ったもの?」

「あっ、これは…」

かなではやや顔を赤らめ、言った。

「彼に…、もらったもので」

「え?彼氏に?」

香穂子は目を丸くする。
彼女の指輪は、彼氏にもらったものだという。左手の薬指に嵌めているところを見れば、まあ一目瞭然だが。
では、これは妖精の冠ではないのか…?

「そ、そうなんだ」

「この指輪が、何か?」

「え…えーと、そのう…」

香穂子はきちんと話をするべきか迷った。
もしかしたら妖精の冠かもしれないが、彼氏からのプレゼントを無理矢理返してもらうのもどうかと思うし…
かといって、呼びつけておいて「なんでもないです」とも言いづらい。

「あの…?」

「うう…。えっと、驚かないで聞いてね?その指輪…、もしかしたら私の知り合いの大切なものかもしれないんだ」

「えっ…?」

かなでは戸惑っている。
そりゃそうだろう、彼氏からのプレゼントが他人の持ち物だったかもしれない、なんて言われているのだから。

「あー、もー、なんて言ったらいいのかな。まったく、本人が聞けば一番なのにもー…」

「………」

しょんぼりしているかなでを前に、うろたえる香穂子。
どうしよう、と言葉を探していたその時―――

「かなで?」

屋上の扉が開き、男子生徒がやってきた。
音楽科の制服をまとった、眼鏡がキリっとした美青年。

「………あっ、律くん!」

かなでは不安げな顔のまま、彼に駆け寄った。

「お前を探していたんだ。人づてに、屋上に向かったと聞いて来たんだが…」

律は眼鏡を直しながら香穂子を見た。

「もしかして…、小日向さんの、彼?」

「はい。…如月、律くんです」

「かなで、こちらは?」

「えっと…」

かなでは香穂子をなんと紹介したらよいか迷っているようだった。
そりゃそうだ。いきなり、おかしな話を切り出してきただけの人物なのだから。

「日野、香穂子さん」

「わ、私、学院のOGの日野です」

「…どうも。如月律といいます」

律はとりあえず会釈をした。
香穂子は頭を抱えた。現在の冠の持ち主はかなでだが、もともとの持ち主は律。
彼に聞けば、これが妖精の冠か否か、決着がつくのだが…

………。

見るからに、ファンタジーとは無縁そうなこの青年。
「頭大丈夫ですか」なんて言われたら、さすがの香穂子もショックだ。

「…律くん、この指輪のことなんだけど」

ありがたいことに、かなでが切り出してくれた。
かなでは左手を差す。

「…ああ、これか。これがどうした?」

「えっと…。律くんはこの指輪、どこで…」

「言わなかったか?田舎の川の中から拾ったものだ」

「―――――!」

田舎の川の中。
そのフレーズに、香穂子はすかさず反応した。

「失礼だけど、田舎って…山の中?」

「ええ、そうですが。…どうしてご存知なんですか?」

間違いない。
あれはやはり、妖精の冠だ。

「………律くん。これね、日野さんの知り合いの人の大切なものらしいの」

「…そうなのか?………ああ、でも」

川の中に落ちていた指輪。
考えてみれば、あんな山の中の川に指輪が落ちていること自体がおかしいのだ。
持ち主がいたって不思議ではない。

律は落胆したように言った。

「…すみません。では、この指輪はお返しします。小日向、すまない」

律はかなでの指から指輪を抜き取った。
かなではあ、と残念そうな声を漏らしたが、文句も言わずに律を見ていた。

差し出された指輪を眺め、香穂子はう、と呻く。
ぐっと律に握らされ、香穂子は指輪を受け取ってしまった。

「…すまない、小日向。まさか、誰かの持ち物だったとは…。それを、お前に贈るなんて…」

「ううん、いいの。大切なものみたいだし、持ち主が見つかってよかった」

そう言いながらも、かなではしょんぼりしている。
それはそうだろう、彼氏から贈られた指輪に突然持ち主の知り合いが現れて…
返すことになってしまったのだから。

リリにとっても大切なものかもしれないが、かなでにとってもまた、大切なものになっていたのだろう。

不本意ながら指輪を奪取することになってしまった香穂子は、激しく狼狽していた。

普通なら「本当に持ち主がいるんですか?」なんて怪しまれそうなのに、怪しむこともせず素直に指輪を返してきた純粋なカップル。
持ち主がいた、ということが発覚し、謝る彼氏と強がる健気な彼女。やはり空気は気まずい。

可愛らしい高校生カップルの恋路を邪魔したような気分になった。
今なら、アーケイディアに蹴られても文句は言えない…

「くう…ッ」

香穂子がこんな思いをするのも、もとはといえばあのふがいない妖精のせい。
香穂子は思わず叫んでいた。

「リリ!出てきなさいよ!あんたの口からちゃんと説明しなさい!でないと、この指輪、………飲み込んじゃうから!」

いきなり宙に向かって叫びだす香穂子に、かなでも律も唖然としていた。
これでもう、不審者決定。
リリが出てこなければ…

「もとはといえばあんたのせいでしょ!いい?!本当に飲み込んじゃうからね?!」

香穂子が口を開け、指輪を掲げた瞬間―――

 

「わあああ!ちょ、ちょっと待つのだあっ!」

 

「?!」

「っ…!」

リリが姿を現した。
どうやら、かなでや律にも見えているらしい。二人とも目をまん丸くしている。

「妖精…?!」

「…妖精!本当にいたんだ…!」

「あ、………。は、初めまして、なのだ…」

リリはいたたまれなそうにふわふわと香穂子の背後に回った。
香穂子はため息をつき、指輪をてのひらにのせる。

「………これが、この冠の持ち主。私が学院にいた頃よりずっと前からこの学院に巣くう、音楽の妖精、よ」

「巣くうとはなんなのだ!巣くうとは!」

「妖精の冠?!………」

律とかなでは顔を見合わせて頷いた。

「では、これはやはり返さないと」

律は言った。

「ちょ、ちょっと待って。リリ!ほら、ちゃんと説明!」

「ぐあっ!」

香穂子はリリをわしづかみにして二人の眼前に差し出した。

 

かくかくしかじかとリリは事情を説明した。
まだ妖精に対面した衝撃の余韻も覚めていないだろうに、二人はうんうんと真剣な眼差しでリリの話を聞いていた。

「じゃあ…、この冠をなくしたばっかりに、リリさんは長老に…」

「自業自得だけどね」

香穂子は呆れながら口を挟む。

「うう…。面目ないのだ…」

「しかし…」

手を拱きながら、律は言った。

「本当にそれが妖精の冠だったとは。…実は、俺は小さい頃、川の中で拾ったそれが妖精の冠なのではないかと信じていたんだ」

まさか本当に妖精がいるなんて思わなかったが、と咳ばらいする。

「おじいちゃんが言ってた音楽の妖精の話…。律くん、信じてたんだもんね」

「ああ」

二人は微笑む。

「…リリ。それ、本当に返さなきゃいけないの?今更見つかりましたー、なんて言っても、もう遅いんじゃ」

「う…うむ…」

「いや、その冠は返そう」

律は真摯な顔付きで言った。

「…俺も小日向も、その冠の恩恵は充分に受けた。俺が今までヴァイオリンを続けてこられたのも、全国大会で優勝できたのも、その指輪のジンクスを信じていたおかげだ」

「…全国大会?」

「俺たち…俺と小日向が所属するオーケストラ部のアンサンブルは、この夏全国学生音楽コンクールのアンサンブルの部で、優勝したんです」

「………。………あ!」

ここにきて、かなり今更だが、香穂子は目をひんむいて驚いた。
確かに、どこかで見たような顔だとは思っていたのだ。

この夏、同じく学院のOBである火原たちに誘われて行った、全国学生音楽コンクール。
優勝した母校のアンサンブルメンバーの中に、彼らはいたのだ。

「日野さん、失礼します」

律は香穂子の手から指輪を受け取った。
そして、リリに向き直る。

「この学院を見守り、俺たちを導いてくれたこと…感謝したい。この冠は、俺の手から返させて下さい」

「ありがとう、リリさん」

「お前たち…」

リリは泣きそうに顔を歪めると、ふるふると首を振った。

「………いいのだ」

「えっ?」

「その指輪は、今まで通り、お前…小日向かなでが持っているといいのだ」

「で、でも」

受け取りを拒まれ、律とかなでは戸惑っている。

「でも。今からでも冠が見つかったことを説明すれば、リリさんは昇格できるんでしょう?」

「いいのだ。この学院には、まだまだお前たちのように素晴らしい音楽を奏でてくれる生徒がいる。オーロになってしまったら、きっとこの学院からも離れることになるのだ」

リリは明るく笑って、続けた。

「我輩は、まだお前たちのような生徒と一緒にいたいのだ。…だから、その指輪はもう、いらない」

「リリさん…」

その光景を、香穂子は微笑みながら見守っていた。

 

 

 

「…リリさー」

律とかなではリリの主張に納得し、笑顔で帰っていった。
二人を見送った香穂子は、正門前でリリと話を続けている。

「私が卒業してしばらく、生徒の前に姿見せてなかったから、タイミング逃してただけだったんじゃないの?」

「うぐ…。そ、そうかもしれないのだ…」

「怖いー、なんて言っちゃってさ。あんなにいい子たちも、まだまだいるんじゃない」

「おっしゃる通りなのだ…」

「でも、冠返してもらわなくて本当によかったわけ?昇格のチャンスは永遠に失われるんだよ?」

香穂子が茶化すように言うと、リリはむっとしてまくしたてた。

「わ、我輩のさっきの言葉に嘘偽りはないのだ!昇格なんかより、あいつらのことの方がよっぽど大事なのだっ!」

「…ちょっぴり後悔してたりして。まっ、今更指輪を返しても時既に遅しだったかもしれないしね、これでよかったんだよ」

「しつこいのだ~!…それに、いつかあの指輪が不要になる時がくるかもしれないのだ」

「あの二人に?」

リリは頷く。

「ニンゲンは、ケッコンするとケッコン指輪というものを嵌めるのだろう?そうなったら、小日向かなでの指に、あの指輪は必要なくなるのだ」

「なーるほどねー。…リリのくせにいいこと言うじゃん」

「リリのくせにとはなんなのだ!」

「…でもさ。あの冠、本当に音楽の恩恵を受けられるのかな。如月くんはすごくヴァイオリンうまいらしいし、全国優勝も…」

「いいや。あの冠は、ただのオーロの象徴でしかないのだ」

「というと?」

「如月律のヴァイオリンの腕も、全国優勝も…。全ては、あいつらの努力の成果なのだ。純粋な、ニンゲンの音楽の力」

妖精の冠を手に入れたと信じても、彼は彼自身の努力を怠らなかった。
冠自体には、なんの効力もない―――

「信じる者は救われる、とはこのことなのだ」

「あ、それで一本取ったつもり?私なんか8年前から考えてたもんね。『冠をなくして長老がおかんむり』」

「全然うまくないのだ…。………でも、ひとつだけ」

「へ?」

リリはいたずらっぽく笑う。

「ひとつだけ、如月律にかけた魔法があるのだ」

「え?なになに?」

「…あいつは。事故で腕を故障して、思うようにヴァイオリンを弾けなくなっていたのだ」

「えっ?!そうなの?!」

「…だが。我輩の冠を見つけてくれた礼に、腕が治り…また思うようにヴァイオリンが弾けるよう、魔法をかけておいた!」

「おおっ!やるじゃん!…でも、人間に直接干渉しちゃいけないんじゃなかったの?」

「………。それは…。オフレコなのだ。如月律も小日向かなでも、もう『ファータの友』だからな!」

「ああ…可哀相…。第二第三の犠牲者が…」

「…第一の犠牲者は誰なのだ」

「私に決まってんでしょ?」

「………ほんッとーに!お前には可愛げというものがないのだ!」

ぎゃーぎゃーと怒るリリを交わして、香穂子は学院に背を向けた。

「じゃっ。私も帰るから。またヒマがあったら寄るよ」

「あ…ああ」

ややしょんぼりした声が聞こえた。
それから、はにかんだような声。

「ありがとう…なのだ。日野香穂子」

その言葉に、香穂子は後ろ手を振って返した。

END