Reconfirmation


「ねっ、いいでしょ?」

「ああ、いいんじゃねーの」

かなでは響也に求人雑誌を見せながらしきりに話しかけていた。
どうやら、かなではアルバイトを始めたいらしい。

こっちに越してきてしばらくたち、全国大会も終わって生活も少し落ち着いた。
仕送りだけではやはりお小遣が少ないということで、バイトをしたいらしい。

「ねー、いいでしょー?いいよねー?」

「だから、いいんじゃねぇの。さっさと履歴書書いて受けに行けよ」

かなでがしたいバイトは、飲食店のホール。
高校生歓迎、らしい。

「………響也ぁ」

かなではしょんぼりしながら響也を見つめた。
どうしてわかってくれないの?という目で。
響也は絶対、わかっているのに。

実際、響也もわかっていた。
かなでは、響也に一緒にバイトをしてほしいのだ。

「響也ぁ…。響也ってばあ」

「………なんだよ」

いつまでも気づかないふりをしている響也に痺れを切らして、かなでは言った。

「響也も一緒に受けにいこ?一緒にバイトしよ?」

「やだ」

「なんでよー!響也だっていつもお金ないお金ないってぼやいてるじゃん!」

「バイトなんてめんどくせー。バイトやるくらいなら少ない小遣いでもやりくりしてやる」

「そんなぁ~…」

かなではしょんぼりして肩を落とした。

「自分がやりたいって決めたんだろ。一人で行けよ」

「だって…。一人じゃ心細いんだもん…」

「なら、俺じゃなくて律でも誘えよ」

「だって、律くんは受験生だもん」

「………」

かなではいつもこうだ。
いろいろやりたがるわりには一人でやるのに勇気が出なくて、心細いなどと言っては響也を巻き込んでくる。
律は巻き込みにくいということがわかっているから、いつも響也にお鉢が回ってくるのだ。

いいように利用されているのはわかるし、こっちが無下に断れないと知っていて言っているから、本当にずるいと思うが…

結局、ほだされてしまう。
こんなこと、今まで何度あったか知れない。

「わーったよ。…一緒に受けてやる」

「やったー♪」

ついさっきまでしょんぼりしていたくせに、この変わりよう。
本当にかなでは現金だ。

こういうところがバカ可愛い、なんて思ってしまう自分が憎たらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

「やったね、響也!」

二人で面接に行った結果…
二人とも、一緒に受かることができた。

それで、これからバイトのシフトを決めなければならない。

「響也は何曜日入れるの?」

「あんまし入りたくねーな。多くて週3てとこだろ。月水金でよくね」

響也はバイト先から預かったシフト表に、適当に丸をつけた。

「月水金かあ。月と水は部活あるから~、早めに抜けても出られるのは5時からだね。金曜日は…」

かなでも月水金に丸をつけている。

「…お前も月水金なのかよ」

「だって。一人で入るのやだもん」

当然のようにかなでは言った。

「…まぁ、いいけど」

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなでバイト初日。
かなではバイトの制服に身を包んだだけでウキウキしていた。

「じゃあ、注文が入ったらこれのここを押して…」

「はーい!わかりましたー!」

一緒に入ったということで、教わるのも二人一緒。
社員から仕事内容を教わって、かなではうんうんと頷く。

「じゃあ、わからないことがあったらまた裏に来て」

「はーい!…じゃあ、っと。まずこれを押して…」

「おい、待て!お前、本当にちゃんと話聞いてたのかよ!これは、こっちが先だろ!」

「あれっ?そうだっけ…。あはは、ごめんごめん!」

「ったく…。大丈夫かよ…」

既にかなでは危うい。
バイト先でも面倒見なきゃいけねーのかよ、と響也は髪をかき上げて呆れた。

 

「だーかーらッ!なんでこうなるんだよ!」

「えっ?!」

かなでの仕事できなさ加減は相当なものだった。
教わったことは全然覚えてないし、響也が少しでも目を離すと何か危ないことをしでかそうとしている。

バイトといっても、入ったら適当にやろう、なんて思っていた響也だったが、
かなでのせいで2倍働くハメになっていた。

とにかく、社員に見つかる前に響也がかなでを注意しているので、かなでがこっぴどく怒られることはないのだが…

「あれぇ?これでいいと思ったんだけど…。えへへ、また間違えちゃった!」

「間違えちゃった、じゃねぇよ!お前、聞いたことちゃんと覚えられないなら、メモ取れメモ!んで持ち歩け!」

「メモ…?そっかあ、響也頭いいね!」

「(ホント…大丈夫かよ…)」

「お疲れ様でーっす!」

「あ」

この店の平均年齢は低い。
それは、高校生が多く雇われているからだ。
もちろん、響也やかなで以外にも高校生はいるわけで。

今元気に声をかけてきた彼女も高校生、かなでたちと同い年だ。

「あかねちゃん、お疲れ様!」

「どう?少しは慣れたかな?」

かなでたちより半年早くこのバイトを始めたという彼女は、元宮あかね。
半年務めているのだから、仕事の方は完璧だ。

「全ッ然。コイツ、まじ仕事できねぇの。俺もびっくりしてるくらいだよ」

「ちょっとー、響也ひどい!だって今日まだ1日目だよ?」

「俺だってそうだけど、お前よりは仕事できてるぞ」

「それは響也が優秀すぎるんだよ~♪」

二人のやり取りを見て、あかねはくすくすと笑っていた。
それに気づいて、響也はむすっと顔をしかめる。

「二人とも同じ学校なんだよね?星奏学院だっけ?」

「…ああ、そうだよ」

「一緒に入ってきたってことは…彼氏に彼女?」

「なっ!!!」

響也はあからさまに赤くなって飛びのいた。
今まではカップルというより、兄妹に見られていたから。
だが、ここはバイト先。名字が違うことは知られているから、兄妹とは思われなかったらしい。
それにしたって、彼氏と彼女って!と、響也はかなでを見遣る。

「えっ?違うよー。私と響也は、幼馴染なんだよ?」

「幼馴染…そうなんだ」

「うん!それでね、地元の高校から星奏学院に、一緒に転校してきたの!」

「て、転校?一緒に?」

「…余計なこと言ってんじゃねーよ、かなで」

また変な勘違いされたらどうするんだよ、と響也はぼやいた。

「いいなぁ、幼馴染でこの歳まで仲良くできるなんて!…おっと、ちょっとサボりすぎちゃったね。私、ちょっと中で作業してくる!」

じゃあね、とあかねは去っていった。

「…ほら、かなで。俺たちもさっさと仕事戻るぞ。あと30分、頼むからミスすんなよな」

「はーい!」

 

 

 

「疲れた…」

菩提樹寮に帰ってきたのは、8時半のこと。
たった2、3時間のバイトだったのに、響也はどっと疲れていた。

「結構楽しかったね、響也!」

「………」

けろりとしているかなでを恨めしげに見つめて、響也はため息をついた。

「(まぁ…いいか。これで少し金が入ってくるんだもんな…)」


 

 

 

 

 

 

「いらしゃいませー!何名様ですか?」

今日もバイトの日。
授業が終わって、部活に行って、4時半には二人で学院を出て。

「では、お席の方にご案内しまーす♪」

「ちょ、ちょっと待て!」

様子を見ていた響也が、かなでの腕をぐいっと引っ張った。

「え、なに?」

「なに、じゃねぇよ!客案内する時はどこが空いてるかちゃんと把握してから案内しろって言われてんだろ!今満席!」

声をひそめて響也が言うと、かなではあっ!と声を上げた。

「すいませーん、今まんせ」

「(バカッ!)…申し訳ございません。ただ今満席となっておりまして、少々お待ち頂くことになっていまうのですが…」

「ああ、いいよそれくらい」

入ってきた客は特に疑問を持たずに待合のソファーへ座った。
それと同時に、テーブルについていた客が席を立つ。

「ほらかなで、客帰るからテーブル片してこい。俺レジやるから」

「うん、わかったー!」

「(はぁ…)」

響也は冷や汗を拭った。
かなでは言葉遣いも危ういし、接客業がどんなに恐ろしいものかもわかっていない。
いつ客に怒鳴られるか、いつ社員に叱られるか響也の方がドキドキしてしまう。

「(ほんっと…。目ぇ離したら何しでかすかわかんねぇ…)」

レジが終わったら、かなでが片付けているテーブルに向かわなければ、と響也は思った。


「おはようございまーす」

かなでたちがバイト先に入ってから1時間後、あかねがやってきた。

「はよっす。………」

「どうしたの?如月くん、なんだか疲れてるね…」

げっそりした響也を見て、あかねは首を傾げた。

「もう…かなでがヤバすぎて…すっげー疲れて…」

「あはは、入ったばっかりだから仕方ないよ。私も入ったばっかりの頃はミスばっかりして、よく怒られてたし」

「いや…あれはミスとかじゃねぇんだよ。なんつーか…もっと根本的な問題つーか…」

「きょ、響也ぁ!」

伝票を届けに裏に回っていた響也のもとに、かなでが走り寄ってきた。

「な、なんだよ!何が起きたんだ!」

「水がね、なくなっちゃったの」

「…んだよ。そんなことで必死になって俺のとこくんな!水がなくなったらそこで補充しろって教えられただろ!メモ見ろ!」

「あっ、そっかー。…ごめーん」

ちっとも悪びれずにかなでは表に戻っていった。

「………な?」

「…う、うん。ちょっと…如月くんを頼りすぎ、かな…」

 

「如月くん、あっち片付け終わらせといたよ。砂糖の補充もOK」

「サンキュー」

あかねが入ってくれてから、響也の仕事は幾分ラクになっていた。
さすが、もう半年やっているだけあってあかねは仕事ができる。
それに比べて…

かなでもかなでなりに一生懸命やっているのだろうが、それが行動に伴っていない。
見事なまでに空回りしている。
どこかで、間違えたりしても響也がなんとかしてくれると思って、ちょっと甘えているところもあるのだろうが…。

「…おっと。いらっしゃいませー!」

 

 

 

「今日も楽しかったねぇ、響也♪」

帰り道、二人は少しだけ寄り道してアイスを食べながら帰っていた。

「…楽しくねぇよ」

「そうかなぁ?響也、結構楽しそうだったけど。最初はさ、全然やる気なかったのに、何気に接客業向いてるんじゃない?」

「…バイトだからそう見せてるだけだよ。次は明後日か…あー、かったりー」

ううん、と背伸びをして響也言った。

「…それよりさ、お前、ホントなんとかしろよ。もし俺が休んだりしたら、お前絶対クビにされるぞ?」

「ええっ、クビ?!やだなぁ、そこまでじゃないよ~」

「俺から見たら充分そこまでなんだよ。いいか、俺だって助けてやれない時はあるんだぞ。もう少し危機感持ってバイトしろって」

「わかってるよー、そんなことー」

「…お前に比べて、あかねは仕事できるよなー。ま、半年やってりゃ当たり前なのかもしんねーけど…」

「うん、あかねちゃんはすごい仕事できるよねー。私も半年たったらあのくらいできるようになるかな?」

「無理だな」

「ひどい!」


 

 

 

 

 

 

「やあ、ひなちゃん。最近バイトを始めたんだって?」

今日は部活が休みだ。
正門前でトイレに寄ってくると言っていた響也を待っていたら、大地に話しかけられた。

「はい!響也も一緒にバイトしてるんですよ!」

「そうらしいね。でも驚いたな、響也がバイトだなんて。絶対やるようなタイプじゃないと思ったんだけどな」

「最初は渋ってたんですけど、私が誘って一緒にバイトすることになったんです~♪」

「やっぱりそうか。はは、ひなちゃんのパワーはすごいな」

「でも響也、すっごく仕事できるんですよ。この前も社員さんに褒められてたし」

「そうなのかい?それはまた意外だな…。駅前の店なんだろう、今度律たちも引き連れて行ってみようかな」

「あっ、それ私も提案したんですけど…。でも、響也が絶対ダメだって。連れてきたらバイト辞めるって」

「それは残念。響也を辞めさせるわけにもいかないし、ここは我慢しておくか」

「おーい、かなでー。待たせたな」

「あ、響也が来た。じゃあ大地先輩、私たちこれからバイトなので…」

「うん、頑張っておいで」

大地を見送ってから、かなでたちはそのままバイト先へと向かった。

 

 

 

「ねぇねぇ、あの男の子…」

「高校生なのかな?結構かっこいいよね」

かなでがホールをうろうろしていると、そんな声が聞こえてきた。
話しているのは、かなでと同い年くらいか少し上の女の子二人。
その二人の視線の先には、響也がいた。

「ね、声かけてみるー?」

「ええっ、そこまでしちゃう?」

「さっきさー、注文する時にちょと笑ったらあの子赤くなってて…可愛くない?呼んでみようよー」

「………(かっこいい?可愛い?)」

響也の噂をする二人を見て、かなでは首を傾げていた。

響也のことをかっこいいとか可愛いとか、そんなふうに思ったことはない。
幼馴染で、小さい頃から一緒にいるのだから、当然といえば当然なのだが…。

「(響也って、かっこいいのかな?)」

考えてみるが、…よくわからない。

「かなでちゃん!」

ぽん、と肩を叩かれた。
あかねだ。

「裏に社員さんが旅行で買ってきたお土産のお菓子があるんだよ、一緒に食べない?」

「えっ?でも…」

「大丈夫大丈夫、5分くらい。ね、行こうよ」

あかねに誘われて、かなでは裏へ回った。

 

「あっ、ちんすこうだ!いただきま~す」

お土産のお菓子を食べながら、かなではあかねと話していた。

「…ねぇ、かなでちゃん。如月くんって、かっこいいね」

「え?」

ついさっきかなでが考えていたことを言われて、かなでは驚いてしまった。
かっこいい…響也が?

「そ…そうかな。私幼馴染だし、あんまりそういうこと考えたことなくって…」

「え~、かなでちゃんてば贅沢!如月くん、かっこいいよ。仕事もてきぱきできるしさ。女の子のお客さんが来た時は、いっつも如月くんジロジロ見られてるよ~?」

「そ…そうなの?」

確かに。
実際、さっきもそうだった。
かなでが気づいたのがさっきだっただけで、実は前からそうなっていたのだろうか。

「まだバイト入ってそんなにたってないのにさ。如月くん、期待の星だって言われてるよ!」

「き、期待の星???」

そんな話にまでなっていたのか。
今ではバイトを頑張っているが、最初は全然やる気がなかったのに…。
なんだかずるい、とかなでは膨れた。

「…かなでちゃんって、如月くんとは本当に幼馴染なだけなの?」

「え…っ?う、うん。そうだよ」

「付き合ったりしてないの?」

「つ、付き合ったりなんてしてないよ!」

「そうなんだ。………」

あかねはちょっとはにかんで笑うと、言った。

「それなら…。私、如月くんにアタックしてみようかな」

「アタック…?」

それは、響也のことが好きで、アプローチしてみようということ。
かなでにだって、それくらいわかった。

「う…うん、いいんじゃないかな?」

「本当?!かなでちゃんは如月くんの幼馴染だし、如月くんのことなんでも知ってるんだよね!ねぇ、協力してくれない?!」

「えっ…」

あかねの勢いに乗せられて、かなではつい頷いてしまった。

 

「………」

「如月くん、私こっち片付けてるから、あっちの注文取ってきちゃっていいよ」

「おう、助かる」

ホールに戻って、かなでは無意識に響也とあかねのやり取りを見ていた。
以前に比べて、明らかに響也とあかねの絡みが増えてるように思えるのは、あんな話を聞いたせいだろうか。
仕事のできるあかねと、仕事のできる響也。お似合いでなくもない。
あかねに協力してと言われて、うっかり頷いてしまったが…
かなでは正直、あまり乗り気ではなかった。

「(なんでだろ…。あかねちゃんと響也がくっついたら、お似合いだと思うのに…。私、お姑さんみたいな気持ちになってるのかな…)」

「ちょっとー!さっきから何度も呼んでるんだけど!」

「あっ、は、はい、申し訳ありません!」

客に声をかけられて、かなでは慌ててテーブルに向かう。
響也もまた、そんなかなでの姿を目で追っていた。

 

「おい、かなで」

注文が終わって裏に回ると、響也が話しかけてきた。

「お前、バイト中ぼーっとすんなよ。学校の授業じゃないんだぞ」

「…うん、ごめん…」

「ったく。あれくらいならいいけど、ぼーっとしてもっと変なことでもやらかしたら、さすがに俺もフォローできないからな」

「………」

「あれ?どうかしたの?」

「…ああ、あかね。コイツさ、ちょっとぼーっとしてるところあるから。お前もちょっと気をつけて見ててくんね?俺だけじゃなんか不安なんだよな」

「あっ…。うん、わかった」

かなでのダメっぷりのせいで、あかねまで巻き込んでしまった。
二人は、あんなに仕事ができるのに…。

今までは、響也にいくら窘められても楽天的でいられたのに、なんでこんなに気持ちが落ち込むのだろう。


 

 

「…なんだよ、なんか元気ねーじゃん」

帰り道、かなでは珍しく無言だった。
響也はそんなかなでに気づき、明るい声をかけてくる。

バイト中、少し言い過ぎたのかもしれない。
今までもああいった注意をしてきたが、いつもへらへらしているかなでだって、凹む時はあるのかもしれない。

「バイトのこと気にしてんのか?」

「………」

かなでは頷いた。

「んだよ、お前らしくもない。反省したならメモでも取って、またへらへらしてろよ」

「へ、へらへらなんてしてないもん!」

かなでは、ある決意を固めていた。
これからは、響也をあまり頼らないようにしよう―――

いつまでも響也がいるから大丈夫、なんて思っているから自分はだめなんだ。
それに、響也に世話を焼いてもらう時間が少なくなれば、あかねだってもっと響也と一緒にいられる。

「(そうだよ。私、協力するって言っちゃったんだから…)」

 

 

 

 

 

 

 

「小日向さん!」

びくっ!

いつものバイトの時間。
かなでは社員に怒られていた。

「なんでドリンクの残量を確認しないで補充したんだ!」

今日も、バイトの最中わからないことがあった。
でも、メモにも書いてなかったことで、つい自分の記憶を頼りに勝手に作業を行ったら…
なんと、ドリンクバーの機械を壊してしまった。
修理を呼んで1時間で直るものらしいが、この時間帯にドリンクバーが使えないとなると店からしたら大損害。

売り上げに関わる部分でミスをしてしまったので、社員も頭に血が昇って、かなでを怒鳴りつける。

「ご、ごめんなさ」

「わからないならどうして誰かに聞かなかったんだ!」

そんなこと今言われたってどうにもならないのに、過去のことで責められ続けるのは仕事上ではよくあること。
でもかなでは初めてのバイトで、こんなに誰かに怒られたこともないから、戸惑い、涙ぐんでいた。

「っ、どうしたんですか」

ホールまで聞こえてきた怒鳴り声に、響也が裏へすっ飛んできた。

「………とにかく。もう、金輪際こんなミスはしないでくれよ!」

「は…はい…」

「………」

社員が事務所へと消えてから、響也はかなでに駆け寄った。

「おい、どうしたんだよ」

「っく…。ひっく、」

かなでは泣いていて話にならない。
すると、あかねも裏へ回ってきた。

「なんかドリンクバーが故障したみたいだけど………あれ?」

泣いているかなでを見て、あかねも心配そうに近寄ってきた。

「どうしたの?怒られちゃった?」

「そうみたいだ。何したんだよ、かなで」

「ドリンクバー…っ。壊しちゃったの、私…で」

「はぁ?!」

「あっ…。もしかして、残量確認しないで補充しちゃった?」

かなでは頷いた。

「ああ~…。私も入りたての頃それやって、怒られたことあるよ。でも、直らない故障じゃないから大丈夫。やっちゃったものは仕方ないんだから、もう気にしない方がいいよ?」

ね、とあかねは優しくかなでを諭してくれる。

「ったく…。最初教わった時、確認だけは怠るな、残量があるのに補充したら機械が止まるって教わっただろ?忘れてたならなんで誰かに聞かなかったんだよ」

本当はもっと叱りたかったが、泣いているかなでを叱るのは酷だ。
響也は努めて優しく言った。

「(だって…聞けなかったんだもん…)」

どうやるのかわからなかった時、響也を頼ろうと思った。
でもその時、ちょうど響也はあかねと話していて…

響也を頼らないようにしようと決めたことを思い出した。

「あかねは仕事ができるのに」と響也が言っていたことを思い出して意地を張ったのも事実。
その結果がこれだ。

「…泣いてたらもう仕事になんねーだろ。かなで、今日は早く上がったらどうだ」

「…うん、そうだね。他の社員さんに、体調が悪いみたいだって伝えてあげるよ?」

かなでは頷いた。
こんなことでバイトを上がるのもどうかと思ったが、接客業なので泣いていたら仕事にならない。

かなではタイムカードを切ると、予定より1時間ほど早くバイトを上がった。

 

 

 

「………おい、かなで」

響也が帰ってきた。
かなでは帰ってくるなり部屋に閉じこもっていたので、響也は心配して部屋まで来てくれたようだ。

「入るぞ?」

「………」

響也はコンビニの袋を持ってかなでの部屋に入ってきた。
中にはかなでの好きな菓子パンやお菓子が入っている。

「これ、帰りにコンビニで買ってきた。食っていいぜ」

「………ありがとう」

響也は、こんなに気の回る人だっただろうか。
…いや。

かなでがいつも当たり前だと思っていたせいで気づかなかったのだ。
小さい頃から、響也はかなでが泣いたり落ち込んでいると、こうしてそれとなく励まし、心配してくれていた。

こんなことになって気づくなんて…

「…まぁ、今日のことはさ。あかねも、よくあることだって言ってたし。あんまり気にすんなよ、今度のバイトの日は今日のこと忘れて、また頑張ればいいだろ」

「…うん」

「ほら、食えって」

「………」

「ああ、あと。これ、あかねから預かってきたんだ。あいつが入りたての頃持ってたメモだってさ。自分用だからちょっと汚い字だけど…つってたけど、充分読める字だよな?」

響也が数枚の紙を手渡してきた。
それは、あかねのメモ。
あかねもかなでのことを心配してくれていたのだ。

「今日は上がりが同じ時間だったから、一緒に帰ってきたんだけどさ。あいつ、結構頭いい学校に通ってんのな」

「………一緒に、帰ってきたの?」

「えっ?ああ」

いつもは、かなでが一緒に帰ってくるのに…
あかねと帰ってきたという響也。
あかねは、響也にアタックすると言っていた。だから、いいことだとわかっているはずなのに…

かなではなぜか、胸がモヤモヤしていた。

「でさ、今度コスモワールド一緒に行こうって誘われたんだけど、かなでは来月の第二土曜日、ヒマだよな?」

「コスモワールド…?」

「俺は別になんもないけど。確か部活も休みだったよな?」

………。
あかねは、響也をデートに誘ったらしい。
でも、響也はそれに気づいておらず、当然かなでも一緒に行くものだと思っている。
響也は鈍いなぁ、と思いつつ、言った。

「土曜日は…ちょっと予定があるんだ」

「そうなのか?じゃあ別の日にしてもらうように…」

「いいの!…二人で行ってきなよ」

「はぁ?二人?なんでだよ、かなでだってああいうテーマパーク、好きだろ?」

「………いいの」

「…なんだよ」

「さ、差し入れありがとう。…今日は疲れたから、もう寝るよ」

「あ…ああ。じゃあ、俺行くわ」

響也が部屋のドアを開け、出て行く直前にかなでは言った。

「…響也。ありがとうね」

「は?………なーに言ってんだよ、今更」

響也はにか、と笑って部屋を出て行った。

「……………」

その笑顔に、かなでの胸は、なぜかきりりと痛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

「………」

「如月くん、ダスターがないんだけど…」

「あっ、悪い。俺裏に置きっぱなしにしてたわ」

あれから。かなではかなり慎重にバイトをこなしていた。
前みたいにこっぴどく怒られるのはイヤだし、響也にもあまり頼らないようにしている。

が、ふとした瞬間何かやらかしてしまいそうで、いつも緊張していた。
響也に頼っていた頃は楽しかったバイトも、今では緊張疲れが酷く、苦痛でしかない。

かなでが響也に頼らなくなってから、響也とあかねは今まで以上に話すようになったようだ。
たまに裏であかねと一緒になる時があると、彼女は嬉しそうに響也の話ばかりしている。
前より仲良くなったようで、一緒に喜んであげたいのに。…なぜかかなでの心はモヤモヤしていた。

「おい、かなで」

客足が引いて、少しヒマになった頃、響也に話しかけられた。

「な…なに?」

「最近お前、あんまりミスしないよな。あんまり俺のこと頼らなくなったつーか」

嬉しそうに言っているが、響也はどこかテンションが低い気がする。

「(わざとそうしてるんだから、当然だよ…)」

とは思ったが、そんなことは口にしないでおいた。

「う、うん。私もやっと、慣れてきたかな」

「あッ!」

レジの方からそんな声が聞こえて、二人は駆けつけた。

「あかねちゃん?」

「うわ~…。やっちゃった。さっきのお客さん、ドリンクセットにして単品の料金抜くの、忘れてたよ…!」

「マジか?あーあ」

見せてみ、と響也があかねの手から伝票を取る。
響也と距離が縮んで、あかねの顔が僅かに綻んだ気がした。

「でもこれ、そんな前の客じゃねーよな。カップルだろ?」

「そうそう!よく覚えてるね」

「…後でバレでも厄介だし。もしかしたら、まだその辺にいるかもしれねーよな。俺、ちょっと見てきてやるよ!」

「あっ」

響也は店の外へと駆け出していった。

「…行っちゃった」

「うわぁ、自分で行ってもよかったのに…」

あかねは申し訳なさそうな顔をしているが、ちょっと嬉しそうだ。

「…如月くんて、頼りになるね。…惚れ直しちゃったな」

「………うん」

………“響也は頼りになる”

そんなこと、今まで思ったこともなかったのに。
響也が自分の世話を焼いてくれるのは、当たり前だった。

でも普段の響也は面倒臭がり屋で、音楽のことになるとどちらかというとかなでの方が面倒を見ていて…

だから、響也が世話を焼いてくれるのは自分にだけだと思っていた。

けれど、初めて他の女の子も交えた場所にきて。
…自分以外の女の子の世話を焼く響也を見て。

「(響也は、本当は普通に面倒見のいい男の子だったのかな…)」

そんな風に思った。

「大変申し訳ありませんでした!」

響也が戻ってきた。
…さっきの客を連れてきている。どうやら、まだ近くにいたらしい。

「いやぁ、あれくらい別によかったのに」

「とんでもないっす!今からお勘定やり直しますんで、少々お待ち頂けますか?」

あかねは慌てて客からレシートを受け取る。

如月くんありがとう、と目配せをしながら。

 

「ったく。いっつも仕事できてんのに、あかねでもミスすることあんだな?」

無事に勘定のやり直しを終えて、響也はあかねを肘でつついていた。

「わ、私だって人間だもん、ミスくらいするよ~」

「かなでがミスしなくなったと思ったら今度はあかねかよ。なんだ。もしかしてかなでのミスが移ったんじゃね?」

「そんなんじゃないってば~」

響也にからかわれて、あかねは嬉しそうにしていた。
かなではそんな二人のやり取りを何も言えずにただ見守っていた。

「ま、そうだよな。またミスしたら言えよ、俺でなんとかなるならなんとかしてやっからさ」

「う、うん!ありがとう、如月くん…」

「……………」

その時、かなでの中にこんな言葉が浮かんだ。

“響也に頼っていいのは、私だけだったのに”

 

 

 

 

 

 

 

…なんだか、最近の自分は変だ。
響也とあかねが一緒にいる時は、いつもじーっと見てしまう。
それから、この心のモヤモヤ。

…響也を頼れなくなってから、バイトで疲れてしまっているのだろうか。

「…ああ、いいけど。でも…」

ラウンジで、響也が電話していた。
相手は誰なのだろう。

今まで、響也が誰かと電話していても、こんなに相手が気になることなんてなかったのに。
本当にどうかしている。

「いや、あかねの好きな時間でいいぜ。俺は一日空いてるし…」

“あかね”
その名前が出て、電話の相手はたやすく判明してしまった。
…そういえば、明日は土曜日。あかねがコスモワールドに響也を誘った日だ。

きっと、明日の打ち合わせをしているのだろう。

「わかった、じゃあ、明日な」

電話を終えた響也は、同じくラウンジにいたかなでに気づいた。

「ああ、かなで。明日なんだけどさ、やっぱりお前予定あんの?」

「っ…」

「もしなくなったんなら一緒に行こうぜ、コスモワールド」

違う。
あかねは、響也と二人で行きたいのだ。
響也に、「あかねちゃんは響也が好きみたいだから、二人で行きたいんだよ」と教えてあげることはできる。

…でも。

かなでは、それを言えなかった。

「…予定、あるから…」

「…そうか。じゃあ、土産買ってきてやるよ。何がいい?」

響也は面倒臭がり屋だが、テーマパークは大好き。
きっと明日も楽しみにしているのだろう。
それがなんだかあかねとのデートを楽しみにしているように見えて、かなでの胸がぎゅっと軋んだ。

本当は、明日は予定なんかない。
二人がコスモワールドで楽しんでいるのを想像しながら、一日過ごすことになる。

…憂鬱だ。

 

 

 

 

 

 

 

次の日、響也は午前中に出かけていった。
ニアもいないし、律も出かけている。寮には誰もいない。

せめて誰かいれば、このモヤモヤした気持ちも晴らすことができたかもしれないのに。

「……………」

自室で一人、考える。
おそらく初めて、バイト先以外で長く一緒に過ごす響也とあかね。
もしかしたら、あかねもそろそろ響也に告白するつもりかもしれない。

そうなったら、響也はOKを出すのだろうか。
あかねは可愛いし、仕事もできるいい子だ。断る理由が見つからない。
響也だって、他に好きな人がいるようには見えないし…。

きっとOKを出すに違いない。
それに、もしかしたら響也だってあかねを好きな可能性がある。

…二人で食事をして、観覧車に乗って。
それから…

キスをしたりして。

「……………!」

いやだ!
かなでは、そう叫びそうになった。

なぜそう思ったのかはわからない。
ただ、「響也を取られたくない」そんな気持ちでいっぱいだった。

「(やだ…、そんなのやだよ…!)」

不安感で胸がきゅうっと締め付けられるような感覚に陥る。
かなでは無意識に携帯を手に取っていた。

 

 

 

「如月くん、次はメダルゲームやらない?」

「………あ、ああ。いいぜ」

「………」

今日の響也は、なぜかぼーっとしていた。
一緒にいても何かに気を取られているようにどこかを見ていたりして…
午前中、待ち合わせてからずっとこんなだ。

「如月くん。何か…」

「あっ、悪い。メールだ」

「…うん、いいよ。返信して」

響也は、今日寮を出てからずっとかなでのことを気にかけていた。
別に何かあったからというわけではない。かなでとは休日もなんだかんだでいつも一緒にいるから、一緒にいない時が珍しくて気になってしまうのだと思っていた。
かなでの言っていた予定もなんなのかわからない。

テーマパークは好きだから、来たら絶対はしゃいでしまうと思っていたのに…
自分でも上の空だということには気づいていて、同時に不思議に思っていた。

「ん?かなでからか…」

 

[件名]
おなかいたい

[本文]
おなかいたい
だれもいない、どうしよう

 

「……………!」

響也は慌てて携帯を閉じると、あかねに言った。

「悪い!急用が入った!」

「えっ?!」

「俺、ちょっと帰る!ホント、ごめんな!」

「き…如月くん!」

響也は一目散に寮へ帰った。
かなでは具合が悪くなったらしい。「誰もいない」ということは、おそらく寮にいるのだろう。
すぐに行ってやらなければ!

 

 

 

「……………」

そんなメールを送ってしまってから、かなでは後悔していた。
…嘘をついてしまった。しかも、こんな子供っぽい嘘を。

響也があかねと二人きりで遊んでいるのがいやで、どうしても響也の気を引きたくて。
そう考えたら、いつの間にかあんなメールを送ってしまっていた。

「(でも…。響也、遊ぶのに夢中で私のメールになんて気づいてないかもしれないし…)」

きっと響也は帰ってなんかこないだろう。
そう思って、ベッドに寝転がった。

 

「かなで!」

数十分後、ラウンジの方で響也の叫び声が聞こえた。
切羽詰った叫び声だ。
かなでは驚いて、ラウンジに向かう。

 

「………かなで!おい、大丈夫なのか?!」

「きょ…響也…。なんで…?コスモワールドは…」

「あんなメールもらって遊んでられるわけねーだろ!…どうしたんだよ、変なもんでも食ったのか?」

響也の息は荒い。
…走って帰ってきてくれたようだ。

ここにきて、かなでは罪悪感でいっぱいになった。
あんなメール、嘘なのに。
それなのに。響也はあかねとのデートを中断して帰ってきてしまった…

「う…うん。大丈夫…」

「…なんか顔色悪くねぇ?もしやばそうだったら、救急車呼ぶぞ?!」

「きゅ…救急車?!」

なんでもないのにそんなことをされてしまったら、それこそ大事になってしまう。
かなでは慌ててぶんぶんと首を振った。

「だ、大丈夫だから。本当にもう、大丈夫だから」

「本当かよ。………」

目をそらしているかなでに違和感を覚えて、響也はかなでに詰め寄る。

「………」

「………」

「なぁ。…お前、本当に具合悪かったのか?」

「………」

どうやら、かなでの様子がおかしいことから、もしかしたら嘘をつかれたのではないかと感づかれたらしい。
でも、響也にはなぜかなでがそんな嘘をつくのか、さっぱりわからなかった。

「………。嘘、ついちゃった!」

かなでは開き直って笑った。
いつものように、へらへらと。

「嘘…?なんで嘘なんかつくんだよ」

「だって、私は寮で一人でいるのに、響也はあかねちゃんと二人で楽しく遊んでるなんて…なんかちょっと悔しくなっちゃってさ~!ごめんねっ♪」

「………。だって、お前、予定あるって…。あれも、嘘だったのか?」

「………うん」

響也はソファーにどっかと腰をおろして、俯いた。

「わっけわかんねー…」

「………」

それは、いつも響也がかなでに呆れる様子じゃなかった。
心底かなでに愛想を尽かしたような物言い。

「お前さ…。わかってんのかよ。俺、あかね一人残して帰ってきちまたんだぞ。お前が具合悪くなったって知らされて。…なのに、嘘かよ。なんでお前がそんなことすんのか、わかんねーよ…」

かなでは泣きそうになっていたが、精一杯笑顔を作っていた。
ただのいたずらで済まそうと。

「…最近、お前変じゃねぇ?バイトでもそうだし。なんかあったんなら、ちゃんと言えよ。さすがに、今のお前には…ついてけねーわ」

「………!」

響也に、呆れられた。
いつもの軽いノリじゃない。

ただでさえいつも響也には迷惑をかけて、なにかと面倒ごとに巻き込んで…
それでも軽く流して笑っていてくれたのに。

「………部屋に戻る。あかねに謝んねーと」

響也はかなでの顔を見ずにラウンジを出ていってしまった。
自分がしてしまったことの重大さに今更気づく。

「(私………。なんでこんなことしちゃったの…?)」

 

 

 

 

 

 

 

土曜日のことがあってから、響也とかなでは気まずくなってしまった。
話はするが、かなでは響也の顔色を伺うように空元気で話すし、響也はかなでと目を合わせない。
それはやがて、周囲にも知れ渡っていった。

「………最近、響也先輩がおとなしいですね」

「ハルもそう思うかい?でも、様子がおかしいのは響也だけじゃない。ひなちゃんも、ね」

「何かあったんですかね」

「…バイトで何かあったのかもしれないな」

「響也先輩も小日向先輩もおとなしいのは結構ですが…なんだかあまりにもおとなしいと、こっちの調子まで狂ってしまいます。…少し、話を聞いた方がいいのかな」

「まったく、後輩に心配されるなんてたいした先輩方だな。…おーい、ひなちゃん」

部室で一人ヴァイオリンを練習していたかなでの元に、大地は歩み寄った。

「…あ、大地先輩」

「響也はどうしたんだ?」

「響也は…。バイトで…」

「バイト?ひなちゃんは?」

「今日は、本当はバイトの日じゃないんです。でも病欠が出たから、響也に代わりに出てほしいって言われて…それで…」

「なるほどな」

「響也は、期待されてますから…。私と違って、仕事もできるし…」

「小日向先輩。単刀直入に言います。…最近何かあったんですか?響也先輩も小日向先輩も、様子がおかしすぎます」

「えっ…」

「…単刀直入に言いすぎだよ、ハル」

かなではヴァイオリンを下ろして俯いた。
途端に、じわじわと涙が溢れてくる。

「こ、小日向先輩」

いきなり泣き出したかなでに、大地もハルも驚いている。

「…泣かないで、ひなちゃん。俺たちが話を聞くから」

 

嗚咽混じりに語ったかなでの話を聞いて…
大地は、腕組みをしながら考えこんでいた。

「私…。本当に、最近おかしくて…。なんであんなことをしちゃったのか、自分でもわからなくて…」

「…確かに嘘をつくのはよくないことです。でも、響也先輩もそれだけでずっと怒ることはないんじゃないですか?」

「…なんだ、ひなちゃんはともかくハルもわかっていないのか?」

「どういうことです」

大地は少し驚いた顔をして言った。

「簡単なことだよ。ひなちゃんは、そのあかねちゃんという子に嫉妬しているんじゃないか」

「えっ?!」

「嫉妬…って。じゃあ、小日向先輩が響也先輩を好きだということですか?!」

ハルが大声で言うものだから、大地はしーっ、と顔をしかめた。

「簡単に言えばそういうこと、かな。…今まで君たちは君たちだけの世界で過ごしてきたみたいだからね。他の人も交えた世界で、ようやくひなちゃんも響也のありがたみというか、一緒にいることの意味を知らされたんじゃないかな」

「…響也のありがたみ…」

「響也を誰にも取られたくないと思ったんだろう?だから、響也のデートの邪魔をした。ほら。至極簡単な話じゃないか」

「…大地先輩はすぐそうやって恋愛沙汰にもっていきたがるんですね」

「じゃあハルはどう思うんだ?」

「………。まぁ、僕も大地先輩の話を聞いて納得するところはありますが」

「だろう?ひなちゃん、そういうことだよ」

「私が、あかねちゃんに嫉妬…。響也のことが、好き…?」

そんなこと、大地に言われるまで可能性すら感じていなかった。
でも、言われてみれば納得できる。

今まで、当たり前のように一緒にいて、当たり前のように頼ってきた響也。
でも、それは地元や学校にいる時だけの話で…。

広い世界に出たら、当たり前のことなんかじゃなかったんだ。

「…そうだ。私…響也が私の面倒を見てくれたり、一緒にいてくれるのは当然のことなんだって思ってた…。響也はいつでも、私のことだけ見てくれてるんだって、思い込んでた…」

「今回に関しては、ひなちゃんの負け、だね」

「負け…?」

「先に自覚した方が負け、ってことさ。…そうとわかれば、響也に打ち明けてみたらどうだい?本当は、ひなちゃんが響也のことをどう思っていたのか、って」

「こ、告白するってことですか?!」

「言ってしまえばそういうこと」

 

…学院を出て、かなではまっすぐに寮へと戻った。
告白…。
自分の本当の気持ちを他人に知らされた衝撃だってまだ癒えないのに、告白だなんてできるはずがない。
響也と仲直りするには、それしか方法がないのだろうか…。

それに、響也のことはあかねも好きなのだ。
先に聞いてしまった手前、かなではあかねから響也を奪う形になってしまう。
それもどうかと思った。
でも、あかねに響也を取られるのもいやだ。

「(どうしたらいいのか、わかんないよ…)」

 

 

 

「如月くん、もう上がっていいよ。今日はヘルプありがとね」

「とんでもないっす。じゃ、お先に失礼しまーっす」

響也はバイトを上がる準備を済ませ、店を出た。

「如月くん!」

「ん?…ああ、あかね」

「私も上がる時間だったから。ね、途中まで一緒に帰ろう?」

「ああ、いいけど」


「…如月くん、最近よくぼーっとしてるね?」

「………あ?」

「ほら、また」

あかねはくすくすと笑っている。

「…そうか?」

「うん。この前コスモワールド行った時から、そうだったよ?」

「………。あの時は、ごめんな。急用が入っちまってさ…」

「………。如月くんて、彼女いるの?」

「は?」

いきなりそんな質問をされて、響也は驚いた。
どの話からそんな質問に繋がったのだろう。

「な、なんだよいきなり。…いねーけど」

「じゃあ…。私と、付き合ってくれない?」

「………は」

「私、如月くんのことが好き」


 

 

「あ…」

ラウンジにいたかなでは、響也が帰ってきたことに気づいて、声をかけた。

「響也、おかえり」

「……………」

響也はかなでを無視して、部屋に戻っていった。
一体どうしたのだろう。
今までは気まずくても、無視をされたことなどなかったのに…。

 

自室に戻ると、携帯がメール着信のランプを光らせていた。

早速携帯を開くと、あかねからメールがきていた。

 

[件名]
無題

[本文]
お疲れ様。
今日、如月くんに告白しちゃった。

 

「………!」

そのメールを見て、かなでの胸はぐっと締め付けられた。
とうとう、あかねが響也に告白した…!

響也は一体、なんと返事をしたのだろう。
さっき響也の様子がおかしかったのは、まさかこのせいなのだろうか?

「(あかねちゃんが、響也に…!どうしよう…!)」

どうすることでもないのに。
焦りだけがこの胸を支配する。
もし、響也とあかねが付き合いだしたら…

「いや………!そんなの、いやっ……………!」

 

「……………」

部屋に戻るなり、響也はベッドに突っ伏して唸っていた。

「なんなんだよ、マジ…」

突然の告白。
正直、響也はあかねをそんな目で見たことがなかったから、本当に驚いた。
いつからあかねは自分をそういう対象として見ていたのだろう?
…いくら考えても、わからない。

「響也ッ!」

「おわッ!」

いきなり部屋のドアが開いたと思うと、かなでが物凄い必死な形相をして部屋に入ってきた。

「な、なんだよっ!つーか、ここ男子棟…」

「やだあっ!」

「ッ!」

いきなりかなでが部屋に入ってきたことすら驚いたのに、もっと驚くことが起こった。
…かなでが、抱きついてきた。

「なっ…。どうしたんだよ、おい!」

「やだあ…。絶対、やだあ!」

抱きついてきたかと思うと、いきなり泣き出すかなで。
もう、何がなんだかわからない。

やだやだと繰り返すだけで、かなでは全然響也の話を聞こうとしない。
わけがわからなすぎてイライラもしたが、かなでの涙には弱い。

「(今日は…一体なんだってんだよ…)」

あかねに告白されたり、かなでに抱きつかれたり。
今響也の手相を見たら、絶対に「女難の相」が出ているに違いない。

「うっ…、ひっく…、っ…」

「かなで。…泣いてたらわかんねーだろ。どうしたんだよ、何があったんだ?」

「うっ…。あ、あかねちゃんにっ、告白されたんでしょっ…」

「………!な、なんで知ってんだよ!」

響也は驚いて赤くなる。
…まさかかなでに知られていたとは。
今日はバイトには来ていなかったし、告白の話を知っているのは響也とあかねだけ。
ということは、あかねがかなでに伝えたのだろうか。

「ひっく…。な、なんて返事したの…?響也、あかねちゃんと付き合うの…?」

「な…なんでそんなこと聞いてくんだよ。………お前には関係ねーだろ」

「っ…!関係なく、ないっ…!」

「なんでだよ!」

「私はっ…。響也が好きなんだもん!誰にも、響也を取られたくないんだもん!」

「………なっ」

なんだって?
響也は自分の耳を疑った。

かなでが、好き?俺のことを?

「ちょ…ちょっと待て。最近、変だ変だとは思ってたけど、本当におかしくなっちまったのか?かなで!」

「ち…違うもん…!私はっ、ずっと、あかねちゃんにやきもちやいててっ…」

「や…やきもち…?」

はっ。
響也は、あかねとコスモワールドに行った時のことを思い出した。
たちの悪い嘘で響也を寮に戻らせた、あのこと。
あの時は、かなでがなんでそんなことをしたのかさっぱりわからなかったが…。

「な…なんで…」

「私だってっ…わかんないよ…っ!でも、私はっ…。響也を誰にも、取られたくないっ…!」

「……………」

響也は一呼吸おいて言った。

「…付き合ってくれって言われたけど…。断ったよ」

「………本当?」

かなでの涙が止まり、響也を見上げる。


『………悪い。あかねとは、付き合えない。…ていうか、俺のドコが好きになったんだよ。全ッ然、わかんねー…』

『…頼りに、なるところかな。後は、外見が好みってこと』

『…そりゃどうも。…でも、俺が頼りになるように見えんのは、バイト先だからってだけだと思うぜ』

『なんで?そんなことないんじゃない?』

『俺、面倒臭がりだし。すぐダルくなるし。…バイトだって、かなでにどうしても一緒にやろうって頼まれたから始めただけで、最初は全然やる気なかった』

『………そっか。如月くん、好きな人いるの?』

『…わかんねぇ』

『かなでちゃん?』

『わかんねぇんだよ。あいつとは、ガキの頃から一緒でさ。好きとか嫌いとか、もうそーゆーんじゃなくて。一緒にいるのが当たり前だし、ついつい構っちまうってだけで…』

『それ、好きなんじゃない。…ひどいなぁ。振った女の子の前でのろけ話するなんて』

『っ…そんなんじゃねぇよ!…俺にだって、わかんねぇんだよ。とにかく、あいつについてなきゃいけねーって思うだけで…。あいつだって、俺のこと男としてなんか見てねぇだろうし。それにさ、バイトじゃかなでが俺を頼ってるように見えるかもしんねーけど、バイト以外じゃ俺がかなでに助けられてることの方が多いんだぜ?だから、なんつーか…。持ちつ持たれつな関係、っていうか。とにかく』

『とにかく?』

『…あいつ以外を、女としては見れねぇんだよ。だから…ごめん』

 

「響也…?」

「と、とにかく!断った。だから、あかねとは付き合わない」

「………。そうなんだ。響也…好きな人、いるの?」

「………」

「私、わかったんだよ。響也が私と一緒にいてくれるのは、当たり前じゃないって。響也が私以外の女の子に頼られて、私以外の女の子と仲良くしてるのを見て、どっかで『響也を頼っていいのは私だけなのに』って思った…。響也に頼れないの、本当に辛かった…!」

「………」

「これからだって…私、響也を誰にも取られたくない…っ!」

「かなで」

響也はかなでを抱きしめて、小さな声で言った。

「俺は誰にも取られねぇから…。とりあえず落ち着けよ」

 

「………お前、あかねに遠慮して、バイトの時も俺を頼らなかったのか?」

「………うん」

ようやく落ち着きを取り戻したかなでは、響也と冷静に話をしていた。

「じゃあ、コスモワールドに行った時も、あかねに遠慮して来なかったってことかよ」

「………うん」

「はぁ…」

響也は額に手をあててため息をついた。

「…ホント、しょうがねーな、お前」

「っ………!私はっ、本気で…!」

「あー、やっとわかった。なんか変だとは思ったんだ。お前みたいな回りくどいことできねぇ奴が下手に気い遣うから、あーゆーことになるんだよ」

「ひ…ひどいよ響也!私だって…!」

「あーあー、わかってる。…わかってるよ」

ぽん、とかなでの頭に手をのせる。

「俺だって、誰からも頼られたいわけじゃねーよ。…お前だから、いつも世話焼いちまうし、…一緒にいんだよ」

「私…だから…?」

「………なんでわかんねーんだよ」

響也は顔を真っ赤にして、少しむくれながらかなでを見つめた。

「お前は、俺の特別なんだよ。…幼馴染以外の意味で!」

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございまーす」

いつものバイトの時間。
あかねが店に出てきて、かなではついあかねをじっと見つめてしまった。

「………かなでちゃん。ねぇ、今日バイト終わったあと、少し時間あるかな?」

「う、うん」

「如月くんは抜きで、ちょっと話したいことがあるんだ」

「響也…抜きで?…うん、わかった」

 

響也にはあかねと話していくと伝え、先に帰ってもらった。
バイト終了後、かなでとあかねは肩を並べて家路を辿る。

「…昨日は、ごめんね。あんなメール」

「…う、ううん。ちょっと…驚いたけど…」

「私ね。振られたのに、わざと思わせぶりなメールしちゃったんだ」

「え…?」

「かなでちゃん、如月くんのこと好きなんでしょう?なんとなく…わかってはいたんだけど、かなでちゃん口に出さないから。だから、ちょっと焦らせちゃおうとも思ったの。それに、如月くんもかなでちゃんのことが好きなことはわかってたから…ちょっとしたいじわるのつもりで。…ごめんね」

「そ…そうだったんだ…」

「かなでちゃんと如月くんは、付き合うの?」

「えっ?!」

昨日、響也とは互いの気持ちを打ち明けあったが…
改めて付き合おう、という話になったわけではない。
とにかく、かなでには響也が必要で、響也にもかなでが必要だということ。
それが、わかったくらいで。

「つ…付き合うとかそういう話はしてないよ。でも…。私、あかねちゃんに協力するだなんて言っておいて、後から響也のことが好きなんだって気づいたの。…横取りするような感じになっちゃって…。私こそ、ごめんね」

「ううん。かなでちゃんは自覚してなかっただけで、ずっと前から如月くんのことが好きだったんじゃないかな。…横取りしようとしたのは私の方だよ。でも私、少しは役に立てたのかな。二人が自分の気持ちに気づくきっかけにはなったよね?」

「………」

かなでは、なんと言ったらいいのかわからなかった。
ごめんね、というのも違う気がする。ありがとう、というのも違う気がする。

「…こうなったら、かなでちゃん。ちゃんと如月くんと付き合ってね?じゃないと私、許さないんだから!」

「えっ…!」

「ちゃんと付き合わないと、また私みたいな子が現れちゃうかもしれないんだよ?かなでちゃんはそれでもいいの?」

“響也が取られてしまう”
あんな苦しい気持ちは、もうごめんだ。
他に何も考えられなくなるくらい、苦しかった―――

かなでは深く頷いた。
あかねだって、失恋直後で人の世話なんてしている場合ではないだろうに。
その彼女が、そう言ってくれるのなら。

 

 

 

「………響也」

「あ…」

寮に帰ってから、ラウンジで響也の姿を見つけたかなで。
早速さっきの話を切り出してみようと、響也に話しかけた。

「私…」

「あっ、あのさ。ちょっと話してぇことがあんだけど…」

「っ…、わ、私も」

「ホントはどっちかの部屋で話した方がいいんだろうけどさ…さすがに頻繁に女子棟とか男子棟に出入りしてたらまずいだろ。外行こうぜ、外」

二人はテラスに出た。
ようやく夏の暑さが落ち着いたのはいいものの、今度は少し肌寒い。

「………あのさ」

「うん」

「昨日…結構うやむやのまま終わらせちまっただろ。結局、なんだったのかって感じで…」

「…うん」

「それでさ…。俺たち、どうする?」

「は?」

どうする?
って、何?という怪訝な顔をするかなで。
それを見て、響也は慌てた。

「あああああ、どうするっつーか!あのっ…あー、なんて言ったらいいのか、わかんねぇ!」

「…私たち、付き合うかどうか、ってこと?」

「!!!!!」

響也は真っ赤になって慌てる。
が、ムリヤリ落ち着いたように見せたいのか、ひとつ咳払いをして言った。

「ま…まぁ、言っちまえばそういうことだ。で…」

「付き合う…よ。付き合うに、決まってるじゃん…」

「おわッ!」

かなでの言葉はダイレクトすぎて、心臓に悪い。

「響也は?…いやなの?」

「いっ…イヤじゃねーよ!ただ…。付き合うって、どういうことなのかよく…わかんねぇからさ」

「いつも一緒にいるってこと…じゃないの?」

「だから。…そんなん、今までの俺たちと変わんねーじゃん」

響也も、俺と付き合うか、と切り出そうとはしていた。
が、「付き合う」ということは一体なんなのかわからず、言い出せなかったのだ。
だって、世間で言う「付き合う」は、今まで自分たちがしていたことと変わらないような気がしていたから。
改めて言わなければならないことなのか、と考えていた。
それに、今更口に出すのも恥ずかしくて。

「………。付き合ったら…。キスとか、えっ」

「わわわわわわわわ!危!止!禁!!!」

だめだ。
かなでに言論の自由を与えたら、とんでもないことになる。自分が。

「………ごほん。なんつーか…。今までの俺たちから、無理に変わる必要なないかもしんねーけどさ…。その…。これからは、かなでを『俺の彼女だ』ってダチに紹介してもいいってことだよな?」

「…うん!」

「それから…。お前が俺以外の男と仲良くしてたら、堂々と嫉妬していいってことだよな?」

「…うん!」

「じゃあ…。そういうことにしようぜ」

響也は話を早く終わらせたいのか、そそくさとラウンジに戻ろうとした。
その腕を、すかさずかなでが掴む。

「待って!」

「うわあっ!………な、なんだよ!」

「………私、響也のこと好きって言ったよ。でも、響也は私に響也の気持ち、伝えてもらってない」

「うっ…」

うまくはぐらかせるならはぐらかしておこうと思っていたのに。
やはり、そううまくはいかないらしい。

「………だよ」

「え?…聞こえないよ」

「好き…だよ」

「聞こえない」

「っ………。好きだよ!俺は、かなでのことが好きだって!お前のこと、誰にも渡したくねーって、思ってるよ!」

響也は秋の星空に叫ぶようにして言った。
こうでもしなきゃ、照れくさくてやっていられない。

「…よかったぁ…」

かなでは安心したように微笑む。

「ったく…。何度も言わせんなっつーの!」

「何度も聞きたいんだもん。私は、何度でも言えるよ?響也のこと、大好きーって」

「あああもういいから。…なんでお前はそんなに順応早いんだよ。こっちはまだ、戸惑ってるっつーのに…」

最初はかなでに頼まれて仕方なく始めたバイト。
それなのに、二人の関係がこんなに大きく変わるきっかけになるなんて思わなかった。

かなでに振り回され続けて十余年。
ようやく、響也の苦労は報われたのかもしれない―――

END