Passing each other |
「響也は、ひなちゃんのことが好きなんだろう?」 「………。………は?な、な、な、何言ってんだよっ!」 いつものオケ部の練習風景。 他の部員たちと談笑しつつ練習をしているかなでを見ながら、大地は言った。 その言葉に、響也はあからさまに顔を赤くして慌てる。 これでは、図星なのがまるわかりだ。 「あれ?違うのか?」 「ち、違うも何も!いきなり、な、なんだよっ!」 「まあ、そう赤くなるなって。…ひなちゃんに対するお前の態度見てりゃ、誰でもわかるよ」 「………。ち、違うって。もしそうだとしても、なんだってんだよ」 「いや、別に?なんとなく」 「なら聞くなよ」 ぷいっ、と響也はそっぽを向いてむくれた。 そんな彼を横目で見ながら大地はくすくすと笑う。 「ひなちゃんは、可愛いよね。結構彼女を狙っている男は多いって聞くよ」 「…なんだ、それ。俺は聞いたことねーぞ」 「お前は昼休みも昼寝ばっかりしていて、他の生徒と交流を持たないから知らないだけなんだ。…あんまりうかうかしていると、横取りされてしまうかもしれないぞ?」 「な、なんだよっ…。べ、別にかなでは俺のもんじゃねーし。勝手に持ってけっての!」 「(おっと…、火をつけてしまったかな)」 「きょーや!」 その時、かなでがぱたぱたと二人の元に駆け寄ってきた。 一瞬で響也の表情が変わる。 「ねえ、あっちでヴァイオリンの子と練習曲の相談してたんだけど、響也も一緒に来てくれない?響也が好きな曲調やることになってるから…」 「…やだよ、めんどくせえ」 「そう言わないでよ~!ほら、ねっ、ねっ!」 かなでは響也の腕を掴んで強引に引っ張ってゆく。 「ったく、仕方ねえなー…」 そう言いながら、どこか嬉しそうな響也。 「(まったく、直前まで噴火しそうだったのに、ひなちゃんに話しかけられた途端にデレデレして…)」 幼なじみの男女の恋愛というものは、誰もが憧れるもの。 大地にはそんな幼なじみはいないから、響也が羨ましくもあり、贅沢だと思う。 でも、蓋を開けてみれば案外難しいのかもしれないな…と思った。 「ああ!くっそー…」 何度目かのゲームオーバー。 面倒くさがりが祟って、レベルも満足に上げていないのにボス戦に挑んだものだから、当然といえば当然の結果だ。 彼の睡眠不足の原因は、これ。 しかし、睡眠不足の原因はもう1つ。 「(大地のヤツ…いきなりなんであんなこと言い出したんだよ…)」 夜中になると、いつもかなでのことを考えてしまって、モヤモヤする。 しかも、今日は大地にあんなことを言われたものだから尚更だ。 なぜ大地が急にあんなことを言い出したのか。 …もしかして、大地もかなでのことが好きなのか? 「(くっ…。あんなヤツにかなで好きになられたら、勝ち目ねーじゃんか…!)」 かなでに恋心を抱いていると自覚したのは、中学に上がる頃だっただろうか。 その時からずっと好きで、近くにいるのに、今だにかなでに想いを打ち明けることができないでいる。 それは、「振られるのが怖いから」という理由もあったが――― 「もしかしたら、かなでも俺が好きかもしれない」という理由もあったから。 全く根拠はないのだが、これだけ一緒にいるのだ。 地元の高校も、今の高校も同じだった。 幼なじみとはいえ、15を過ぎてもつるんでいる男女はあまりいないと思う。 …まあ、彼らの地元は近くの高校が少ししかなかったから、中学からエスカレーター式に上がってくる友人も多かったし、かなでも友達が同じ高校に行くから、なんて理由で入ったようだったが。 いつも律、律、と言っていたかなでが、地元の高校を受験すると言った時は、少なからず「俺と一緒の高校に行きたいから?」なんて思ったものだ。 …だから、星奏学院に行くと言い出した時は正直落ち込んだ。 やはり律がいるからか?と。 とにかく、響也はどこかでかなでは自分のことを好きかも、なんて思っている。 なぜそれが告白できない理由かというと――― もしかしたら、かなでから告白してくれるかもしれないから。 自分でもバカだな、ヘタレだな、とは重々承知していた。 でも、もし。万が一、かなでも自分のことが好きだとしたら――― かなでから告白してもらえるのが一番なのだ。 「(こんなん支倉にでも知られたら、『草食男子だな』とか言われんだろーな…)」 言われてもいないのにムカムカしてきた。 希望的観測、妄想といってもいいくらいの未来がもしかしたらくるかもしれない、なんて考えつつ 響也は今も、自分からなんのアクションも起こさないのだった。 「(…でも。いつかは、ケジメつけなきゃいけねぇんだよな。あいつ、なんだかんだでモテるみてーだし…)」 イモだらけの地元とは違い、この土地にはイケてるメンズがたくさんいる。 もし、自分がうだうだしている間に、どこの馬の骨とも知らないイケてるメンズにかなでが取られてしまったら? …すごく悔しいが、 結局自分はいじけてすぐ諦めてしまうかもしれない。 悔しくてやりきれない気持ちになるくらいなら、どうでもいいと思ってしまおうと。 音楽のことでもそうだった。 かなでに励ましてもらい、せっかくこの性格を直せたと思ったのに。 やはり、人生そううまくはいかないらしい。 「(つーか…そもそも…)」 響也は、今まで何度思い返したかも知れないある「トラウマ」を、再び思い返していた。 あれは、中学2年のバレンタインデーのこと。 響也は、初めてかなでからチョコをもらった。 女の子からもらったのも初めて、しかも好きな子からもらったものだから、響也は嬉しくて舞い上がっていた。 それまでは、かなでの母とかなでから、連名でチョコをもらっていたから。 かなでからのチョコには、カードが添えられていた。 “響也大好き!” それを見て、まだうぶな少年だった響也は、頭がどうにかなりそうなくらい喜んだ。 嬉しすぎて泣いたくらいだ。 あの頃はまだガキだった、と今になって思う。 響也は喜びを抑えきれず、誰かに言いたくて仕方なかった。 そして、つい律に自慢してしまったのだ。 『律!俺、かなでにチョコもらったぜ!すげーだろ!』 響也は青いチェックの包装がなされたチョコを掲げ、律に見せびらかした。 『ああ。いつもすまないな。俺も同じものをもらった』 『え』 律は、無慈悲にも鞄から響也と全く同じ包装のチョコを見せてきた。 『そういや、小日向のおじいさんにも同じものを渡しているのを見たな。…カードも入っていた。小日向は義理堅いな』 『え』 律とじーさんと同列かよ!と、響也は信じられないくらい落ち込んだ。 翌日、「チョコ食べた?」とかなでに聞かれて、精一杯平気な顔をして食べたと返したが。 かなでの「大好き」は信用ならない。 もし告白して、「響也は律くんやおじーちゃんと同じくらい好き」なんて返されたら、立ち直れる自信がない。 「………。………あーッ?!」 と、そんな考え事をしていたら、またゲームオーバーになってしまった。 「おはよう、ひなちゃん」 「あっ、大地先輩!おはようございます!」 翌日。 大地とかなでは正門前で遭遇した。 大地は昨日のことを思い出し、かなでに言う。 「そういや、ひなちゃんは響也と一緒に登校しないのかい?」 「えっ、響也と?…一緒に登校したいんですけど、響也ってばおねぼうさんだから。待ってたら私まで遅刻しちゃうんです」 「はは、なるほどね。…律は?」 「あっ、律くんはちゃんと起きるんですけど…。私は響也と登校したいから」 「(………おや?)」 どういうことだ?と大地は首を傾げた。 もしかして、これは…? 響也の気持ちに支障をきたさない程度に、大地はさりげなく聞く。 「ひなちゃんは響也が好きかい?」 「もちろん!大好き!」 「………」 躊躇いなく頷いたかなでに、大地は驚いてしまった。 あまりにはっきり答えられすぎて、その「大好き」の意味が家族的なものと思ってしまうくらいだ。 「………そ、そうか」 「響也は、私の彼氏ですから!大好きに決まってます!」 「………は?」 更なる衝撃的な発言。 彼氏?響也が? 響也からはそんな話聞いたこともないし、態度を見ていても、てっきり響也の片想い、もしくは気づいていない両想いだと思っていた。 「…大地先輩?」 「い…いやいや。ちょっと驚いてしまったよ、そんな話聞いたことなかったからさ」 「響也は恥ずかしがり屋だから、言ってないんですね。だから私も、あまり言わないようにしてるんですけど」 ナイショですよ、とかなでは可愛らしく微笑む。 「…ちなみに、どっちから告白したんだい?君から?響也から?」 「私ですよー!中学2年のバレンタインデーに」 「………」 これは… これは、もしかしたら。 壮大な勘違い大会が開催されているのか…? 大地は、自慢じゃないが周囲の恋愛事情には敏感だと思っている(自分に関わることは抜きにして)。 本当に双方合意の上で二人が付き合っているとしたら、自分が気づかないわけがないし… 「あっ、予鈴鳴っちゃった。すみません、そろそろ行きますね。…響也、まだかなぁ」 かなでは元気に校舎に向かっていった。 「(うーん…)」 世話好きの大地としては、なんとか二人の仲を取り持ってやりたい。 何かいい手はないものか。 大地も校舎に向かいながら、考えた。 「響也、ありがとう!おかげでいい曲選べたよ!」 「…もう面倒かけんなよ」 「いやですー。そんなこと言うなら、もっともっと面倒かけちゃうから!」 「っ、お前なぁ!」 「(ふむ…)」 かなでの話を聞いてから… なるほど、確かにかなでは響也に恋人のように甘えているようだ。 普通はこんな状況を見ていたら、最初から「二人は付き合っているのだろう」と思いそうなものだが、最初から曲がった目線で見ていたようだ。 かなではあまりに天真爛漫で無邪気で… 響也は…懸命に興味がなさそうなふりをしている。 「(響也も頑固な上に自分に自信がないから…ひなちゃんが自分を好きだということを信じられないのかもしれないな)」 「おい、大地。次の演奏曲だが」 「………」 「大地?」 「おっと、ごめん。何だい」 声をかけてきた律に、大地はにこにこしながら答える。 「どうした?なんだか楽しそうだな」 「ちょっと、ね。…ああ、律。お前はひなちゃんと響也が付き合っているって知っていたか?」 言ってから、はっとした。 かなでには、誰にも言わないでと言われていたのに… しかし、相手は律だ。口止めせずとも他言はしないだろう。 「小日向と響也が?…ああ、そんなことを聞いたような気もするな」 「えっ、知ってたのか?」 「俺が高校に入ってすぐ、小日向から手紙をもらった。近況を知らせる手紙だったんだが、そこに響也との交際は順調だ、と書かれていて」 「順調…ねえ…」 「あの二人は昔から仲がよかったからな。俺としても嬉しい」 「ふうん…。俺はてっきり、ひなちゃんは律との方が仲がいいと思っていたよ」 「いや、響也の方が仲がよかっただろう。歳も同じだし、小さい頃から響也はよく小日向の面倒をみていた」 「響也が、ひなちゃんの?…今じゃすっかり立場が逆転したようだな」 「響也は子供っぽさが抜けていないからな。いつの間にか小日向に追い抜かれたんだろう」 「はは、響也が聞いたら怒りだしそうだな」 「ひなちゃん」 「?」 響也が先に帰ったことを確認してから、大地はかなでに近づいた。 「響也と一緒に帰らないのかい?」 「あっ…。なんか響也は疲れたとかで、先に帰っちゃって…。もう、響也はすぐ疲れるんだから」 仕方ないなぁ、と言いつつ、かなでの顔はデレデレしている。 彼女はこんなに響也が好きなのに、響也はそれに気づいていない。 なんだか可哀相なくらいだ。 「実はね、俺からちょっとした提案があるんだ。…響也と君は付き合ってるんだよね。でも周りは知らない」 「はい」 「君は響也が恥ずかしがり屋だから黙っていると言っていたけれど、それはちょっと危ないんじゃないかい?」 「…え?危ない…?」 「うん。…あれでいて、響也はなかなかモテるからさ。既に彼女がいることを周りに知らしめておかないと、他の女の子に狙われて、取られてしまうかもしれないよ?」 「………!」 かなでは驚愕していた。 不安そうに眉をしかめて、大地を見つめている。 モテる…というのは適当な方便だが、まあ全て嘘というわけでもない。 「そ、そうですよね。響也かっこいいし!他の女の子に好きになられちゃったりしますよね?!」 「(驚いた…。ひなちゃんは本当に響也バカなんだな…)」 ちょっと呆れつつ、続ける。 「だから、今度からみんなの前で『響也はひなちゃんの彼氏だ』ってアピールしてもいいんじゃないかい?」 「アピール…。ど、どんなことをしたらいいんですか?」 「そうだね。まあ…。ちょっとしたスキンシップとか、きちんと好きだって口にすることとか、かな。まずは部活の時間に試してごらんよ」 「そっかぁ、それいいかも!」 かなではうんうんと頷いた。 なんと単純な子なのだろう。 …でも、まあ。 かなでがそれだけあからさまに響也が好きだとアピールすれば、さすがの響也も気づくだろう。 「大地先輩、いいこと教えてくれてありがとうございます!」 「ううん、どういたしまして」 「(さて…)」 翌日の、待ちに待った部活の時間。 かなでは単純だけれどやると決めたらやる子だ。きっと、昨日言ったことを行動に移すだろう。 響也が一体どんな顔をするか… 楽しみな部分もある。 「(やれやれ…我ながら悪趣味だな)」 だんだんと音楽室に部員が集まってくる。 その中に、かなでと響也の姿もあった。 「お、おい。なんでそんなくっついてんだよ」 「別にー?」 「っ…」 大地は驚愕した。 かなでは響也と腕を組んで、響也の腕にほお擦りしながら現れたのだ。 い、いきなりそこまでしなくても。 かなでの積極性には恐れ入る。 響也は、というと。 困ったような顔で、しきりに「離れろ」と言っている。 「(普通、男なら感づくものだろ…?)」 赤くなるとか、照れるとか、嬉しがるとか。 なのに、響也はなぜかなでがこんなことをするのかわからないといった顔だ。 「(難儀な奴だな…)」 と、かなでが大地の視線に気づいてウインクしてきた。 かなで的にはうまくやっていると思っているようだ。 「あ、ああ…」 大地は苦笑いで返した。 「響也響也、ここなんだけどー」 部活の最中も、かなでは響也にべったりだった。 さすがに他の部員たちも、「あの二人は幼なじみの関係だけじゃない」と気づいてきている。 が… 「あーわかったわかったわかったうるせー」 一番重要な人物が気づいていない。 「ねー、ここはー?」 「あー…?ここは…」 「響也、すっごーい!やっぱり響也、大好き♪」 おおっ! 部員たちの心の声が聞こえた気がした。 とうとう言った! 大地も固唾を飲んで見守る。 「あ?なーに言ってんだよ。そんなこと言ったってなんも出ねーかんな。冗談はそれくらいにして…」 「もー!冗談じゃないのに!」 ああ~。 部員たちの落胆の心の声が響いた気がした。 「(響也…、これはもう鈍いというレベルじゃないぞ…)」 「何を騒いでいる」 律がやってきた。 練習のことでもめているのではないかと思っているようだ。 律は「ドン如月」と呼ばれているほど鈍さには定評のある男。 もちろん「ドン」は「首領」であり、「鈍」だ。 大地は不安になった。 「あっ、律くん。響也がねー、大好きって言ってるのに冗談言うなとか言ってくるんだよー?」 「そうか。響也、人の好意は素直に受け取るものだ」 「(そうじゃないだろ、律!そんな言い方したらますますややこしくなる!)」 案の定だ。 大地はため息をつく。 「は?冗談じゃねーとしても、そんなん言われてなんて返せってんだよ」 律の登場で響也の目が三角になってきている。 「それは…。そうだな。ありがとう、と返せばいいんじゃないのか」 「(そうじゃないだろ律!)」 「…アホくせ。なんか今日のかなではいつにも増してウザいし、俺もう帰るわ」 「ええっ?!」 響也はさっさとヴァイオリンを片付けると、音楽室を出ていってしまった。 しんと静まり返る室内。 「………なんだ?」 この空気に気づかないのは、ドン如月だけのようだった。 「ったく…なんだってんだよ!」 道端の石を蹴飛ばす。 今日のかなではなんだかおかしかった。ベタベタくっついてきて、みんなの前で大好きとか言いはじめて。 かなでの「大好き」にはトラウマがある――― 口や態度はあんなでも、響也はかなでが好き。しかし、彼女から「大好き」なんて言われても、それは家族的なものとしか思えない。 普通、本気で好きならあんな大勢の前で言わないだろうし。 「(はあ…まったく…)」 「はあ…まったく…」 突然飛び出していった響也に、かなでも唖然としていた。 見るに見かねて、大地が声をかける。 「ひなちゃん」 「大地先輩…。響也、一体どうしちゃったんだろう…」 「あいつは本当に意固地だな。…律も律だ」 「俺が何か?」 この兄にして、この幼なじみ。 響也も不憫だ、とため息をつく。 「いきなりみんなの前でああいう行動に出たのはまずかったかもしれないね、響也は本当に照れ屋なんだ。俺の計算違いだったよ、ごめん」 「い、いえ…。大地先輩が悪いわけじゃ…」 「今度はさ、さっきみたいなことを二人きりの時にしてみたらいいんじゃないかな」 「二人きりの時…?」 「それから徐々にみんなの前でもやっていくようにすれば、きっとそのうち慣れるからさ」 「そう…ですよね。わかりました!」 「あー…たりい…」 午前の授業が終わって、響也は真っ先に屋上へ向かおうとしていた。 昨日もゲームをやりながら考え事をしていたら、すっかり寝不足になってしまったから。 要するに、寝に行くのだ。 昼食は、午後の授業でこっそり食べればいい。 「響也!」 教室を出ようとすると、かなでに腕を掴まれた。 「ねえ、もしかして屋上に行くの?」 「あ…ああ」 「私も一緒に行ってもいい?お弁当作ってきたから、一緒に食べようよ」 「………。ああ、好きにしろよ」 素っ気なく言ったのに、かなでは嬉しそうだ。 こういうところが可愛いんだよな、と照れた顔を隠すように、かなでより先に歩いた。 「はい!今日は、響也の好きなものばっかり詰めてきたよ!」 「おっ…。うまそーじゃん!」 かなでが弁当の中身を見せると、響也は嬉しそうに笑った。 …だが、急に顔をしかめる。 「…なあ。俺の好きなもん作ってくれたのは嬉しいけどさ…。なんか最近、お前変じゃねえ?」 昨日といい、今といい。 かなでといつも一緒なのは普段通りだが、何かおかしい気がする。 「変って…何が?」 「俺の…勘違いかもしんねーけどさ。やたらくっついてきたがるっつーか、俺の機嫌とってくるっつーか…」 「だって、響也が好きなんだもん。…一緒にいたいし、響也に喜んでもらいたいのは当然でしょ?」 「…またそれかよ」 こっちは、かなでの言葉や行動に一喜一憂させられて… それに振り回されないよう、必死で感情を押し殺しているというのに。 今だって、かなでの笑顔は残酷すぎる。 「お前さ…。いいかげんにしろよ。どんだけ俺の気持ちをを振り回したら気がすむんだ?!」 「え」 … こんなこと、言うつもりじゃなかったのに。 ひとつ言ったら、更に言葉が溢れ出してしまう。 「…さすがに、俺だって我慢の限界があるんだよ、お前に翻弄されんのは!」 「きょ…響也?なんで…?私、響也のことが好きで、響也にいやなことしてるつもりなんて…」 かなでは響也の腕を掴んだ。 「だから!そーゆーのが俺を翻弄してんだって言ってんだ!」 かしゃん! 響也がかなでの手を振りほどくと、その衝撃で弁当の中身が投げ出されてしまった。 「あ…」 さすがに、「まずい」と思った。 響也は慌ててかなでの顔を見る。 「っ…。ご、ごめんね…?」 瞳いっぱいに涙を溜めて、かなでは唇を震わせた。 泣かせた………! 響也の胸が、ぎしりと痛む。 「かなでっ…」 かなでは立ち上がると、屋上の扉から出ていってしまった。 「くそっ…。なんで、俺は…」 かなでの「大好き」が家族的なものだとしても、響也を想う気持ちは変わらない。 だったら、自分だって「俺もかなでが大好きだよ」と返してやればいいじゃないか。 なぜ素直にかなでの気持ちを受け入れることができないんだ。 それが家族的な気持ちなら、なぜそれを男女の気持ちに変えてやろう、くらいに思えないのか。 「(全部…全部、俺が臆病なせいなんだよ…!)」 「律、腕の調子はどうだ」 「ああ、ずっと湿布をしているからな。今は問題ない」 「湿布も包帯もまめに変えろよ。ムレるからな」 大地と律は、屋上で昼食を食べよう、と階段を上がっていた。 すると、上の方からなにやらドタバタという足音が。 「なんだ?階段を駆け降りてるのか?危ないな」 駆け降りてきたのは、音楽科の女子。しかも、あれは…! 「…ひなちゃん?」 かなでは返事もせず、大地たちの隣を通りすぎていった。 ちらりとしか見えなかったその横顔は…泣いていた。 「小日向…か?なんだか様子がおかしかったな。追いかけた方がいいかもしれない」 「…いや。もしかしたら…」 大地は「原因はアレに違いない」と、屋上へ向かった。 地面に落ちてしまったおかずやご飯を拾い集めて、響也はそれをちゃんと食べていた。 …おいしい。 かなでの言う通り、響也の好きなものばかりが詰まったお弁当。 こんなことまでしてくれたのに、響也はかなでを泣かせるという最低のお礼をしてしまった。 「………やっぱりな」 呆れた声に顔を上げると、そこには今一番現れてほしくない人物が二人揃って、響也を見下ろしていた。 「ひなちゃんに何をしたんだ?」 「………あんたらには関係ねえ。ほっとけよ」 「響也、その言い方はなんだ。小日向は泣いていたぞ」 「…関係ねえって言ってんだろ!」 怒りに任せて怒鳴る響也に、大地も律もため息をついた。 それが、「本当にお前はだめな奴だ」と言っているように思えて、響也の怒りはますます大きくなる。 “そんなのは、俺が一番わかってんだよ!” “でも、そんなのどうしようもないだろ!” 「響也、お前はいつまで意地を張り続けるつもりなんだ」 「うるせえ!」 「ひなちゃんの気持ち、考えたことないのか?」 「うるせえっ…!どっか行けよ!」 「………響也」 ばしん! …響也の頬を叩いたのは、律だった。 「何しやがる!」 「少し落ち着け」 響也が怒っているのは、かなででもなく、大地でもなく、律でもない。 ふがいない自分だ。 しかし、自分に対する怒りなんてどうやったっておさまるはずもない。 響也は二人から目をそらし、俯いた。 「俺だってっ…。いろいろあいつのことは考えた…。それこそ、ガキの頃からずっとだっ…。でもっ…」 「へえ、考えていたのか。それなら、気づかない方がおかしいと思うけどな」 「あんたに何がわかるってんだよっ…」 「ひなちゃんは俺に、『響也は私の彼氏だ』と言っていたけど?」 「……………は?」 響也がぽかんと大地を見つめる。 「俺もそう聞いた」 律も頷く。 「な…、何言ってんだよ!変な冗談言って、俺を困らせるのがそんなに楽しいか?!」 「だって。本当にそう聞いたし、ひなちゃんもそういうつもりでお前に接していただろう?大好きだ…って、言ってたじゃないか」 「あ、あれは!…だいたい、俺はかなでに告られたことなんか…」 「ひなちゃんは、中学2年のバレンタインに響也に告白したって言ってたぞ?」 「―――――!」 中学2年のバレンタイン。 それは、響也のトラウマが形成されたあの――― 「…はっ。あれは告白なんかじゃねえよ。律やかなでのじーさんにも同じチョコを渡して、『大好き』って書いたカード渡して…」 「は?…俺のカードには、そんなことは書いていなかったぞ?」 「………は?」 「確か、文面は…。『律くん、いつもありがとう』だった気がするが」 「……………はあ?!」 途端に響也の顔が赤く染まる。 では… かなでは、自分だけに「大好き」と書いたカードを贈っていたのか! それじゃあ、部室で言われた「大好き」も、さっき言われた「大好き」も… 「…ようやく、自分の勘違いを認めたようだな?ひなちゃんは、あの時響也にOKをもらえたとずっと信じていたみたいだぞ」 「なっ…」 響也は赤くなったままかたまっている。 「ほら。そうと決まれば早くひなちゃんを探して、謝ってこい」 「いてッ!」 大地は響也の尻をバシッと叩いた。 響也は二人にお礼も言わないまま、屋上を飛び出した。 「…やれやれ。これで誤解はとけそうだな」 「…なんのだ?」 「(かなでがっ…俺をっ…?)」 かなでを探して、校舎中を走る。 電話することも考えたが、さっきの状況から考えるとかなでが電話に出るとは思えないし、何よりこの気持ちをはっきりと自分の口から伝えたい。 音楽室まで来て、もしかしたら部室にいるかもしれないと思い、部室のドアノブを回す。 …鍵がかかっている。 「(やっぱ…ここだ…)」 響也は息を落ち着かせ、言った。 「………かなで。いるのか」 「………響也?」 やはりかなではここにいる。 もしかしたら入れてもらえないかと思ったが、かなではすんなりと鍵をあけた。 「………」 「…かなで」 かなでの可愛らしい瞳はまっかっか。 響也の顔を見ると、また泣き出した。 響也は部室の中へ入り、鍵をかける。 「うわあああん…響也あ、ごめんね…!」 大声で泣きながら抱き着いてきた。 …そうだ。かなでは自分の気持ちに素直な子。 意地なんか張るわけもない。 「私っ、響也に何をしたのかわからなくてっ…。でもっ、私にいやなところがあるなら直すから、お願いだから、嫌いにならないでっ…!」 「っ…。嫌いになるわけねーだろ!」 「えっ…」 響也はかなでの背中に腕を回し、きつく抱きしめた。 「ごめん…。お前は何も悪くねーんだよ…。悪いのは…意気地なしでヘタレの、俺だ…」 「響也…?」 響也は、今までのことを全てかなでに打ち明けた。 中学2年のバレンタインの時から、勝手に変なトラウマを持ち続けていたこと。 そのために、かなでの言葉を誤解していたこと。 「………。私、てっきり響也と付き合ってるとばかり思ってた…」 かなでは泣き止んだが、今度はしょんぼりと俯いている。 「俺…、自分に自信なかったんだよ。…だからお前の気持ちも信じられなかったし…その、勘違いしてた。お前は、俺のことを彼氏だと思ってくれてたのに…」 「………」 「でも…。やっと、わかったから。お前が、俺を男として好きだって思ってくれてるってこと…。だから…」 腹の下にぐっと力を入れて、勇気を出す。 ずっと言いたかった、ずっと伝えたかった言葉。 「お…俺と、付き合って…くれ…。…改めて」 「………!」 「俺もずっと…かなでのことが、す、好きだったんだ!」 「響也………」 かなでは嬉しそうに笑った。 しかし、すぐにしょんぼりしてしまう。 「………。今度は、私の方が信じられなくなっちゃった。響也は…優しいもん。私が泣いたから、仕方なくそう言ってるんじゃないの…」 「なっ…、そんなわけあるかよ!」 ていうか優しいってなんだよ、と慌てる。 …かなでに信用してもらうには、どうすればいいのだろう。 これまでずっとかなでに悪いことにしていたのだから、それを詫びる意味でも精一杯誠意を伝えなければ。 「(言葉じゃだめだ…、何か行動で示さねーと…)」 そう考えて、響也ははっとする。 「アレ」はどうだろう。 いやしかし、そんなことする勇気は出そうもない。 けれど… 「…響也はかっこいいもん。私みたいな女の子より、もっと可愛い子と付き合えるかもしれないもんね…」 「は、はあ?!何言ってんだよ?!」 「大地先輩から聞いたの。響也はモテるから、このままじゃ他の女の子に取られちゃうかもしれないって…。だから私心配して、部活の時にみんなに響也と付き合ってるのアピールしようって…!」 「はあ?!初耳だぞそんなん?!」 恥ずかしい誉め(?)言葉の連続で、響也は頭が沸騰しそうになった。 どうやらかなでも混乱しているらしい。 ここはやはり、「アレ」でかなでを安心させねば――― 「…なに、バカなこと言ってんだよ。俺が好きなのはかなでだけだし、俺みたいなヤツ好きになってくれんのも、お前しかいねーよ」 「でもっ…」 「………いいから。目、閉じろよ」 「…へ?」 「目え閉じろ。ったく、何度も言わせねーでくれよ…」 「…わかった」 かなでは響也に言われた通り、目を閉じた。 かなでの肩に手をのせる。 どっくん、どっくん… 静かな部室の中に、心臓の音がこだましてしまいそうだ。 ゆっくりゆっくり、かなでの唇に顔を近づけていく。 重なった――― その時の記憶は、ない。 もう、恥ずかしさと嬉しさで、頭が真っ白で。 「………響也」 唇を離すと、かなでは驚いた顔で響也を見た。 「あーっ、もう!こっ恥ずかしい!」 照れ臭さをごまかすように、大きな声を上げてかなでから離れる。 「ふふっ。…ムードないんだから」 「し、仕方ねーだろ!…初めてなんだから、さ。こんなん…することになるとは思わなかったし」 「………。響也の、そういうところも…大好き、だよ」 「…俺だって、お前のことが大好きだよ。………かなで」 「響也ぁ、ここわかんない!」 「あ?そんなとこも弾けねーのかよ。いいか、これは運指を…ほら、ちょっとこっち来い」 いつもの部活の時間。 部員たちは、響也とかなでが醸し出す甘い空気に、胸やけがしそうになっていた。 「いやはや…」 べたべたとくっつき、響也の膝の上に座るかなでを眺めて、大地はため息をつく。 「…うまくいったのはよかったけどな。こうもバカップルになるとは思わなかった」 かなでについては、予想の範囲内だが… まさか響也まで、他の人間の前でいちゃつくことを厭わない男だとは思わなかった。 かなでといる時は常に彼女の腰に手を回しているし… いちいちかなでの耳元で何かを話すのも、こっちがこそばゆいからやめてほしい。 「響也先輩!破廉恥です!」 「…やっぱりこうなったか」 はあ、と二度目のため息。 見かねたハルが、響也とかなでに向かって怒鳴った。 「………」 「………」 二人は悪びれた様子もなく、ハルをじっと見ている。 「…とりあえず、響也先輩の上に座るのはやめて下さい!小日向先輩!」 「だってー。響也の上じゃないと、譜読みがはかどらないんだもん!」 「だよなー。お前、いっつも俺にくっついてねーと本領発揮できねーんだよなー?」 「そーなのー♪」 かなでを抱きしめて、彼女の頬にほお擦りする響也。 ハルは赤くなってわなわなと震えている。 うわあ…と目をそらす部員たち。 「いい加減にして下さいッ!二人ともッ!」 「きゃあっ!ハルくんに怒られちゃった!怖いよう、響也ぁ」 「大丈夫だかなで!俺が守ってやるから!」 「あーあー…」 これじゃ練習にならないな、と大地は呟く。 隣では律がくすくすと笑っている。 「…なんだ、律。お前はあの二人に思うところはないのか?」 「…いや、昔を思い出して、な。小さい頃は、二人ともああしてべったりくっついていたから。小学校高学年くらいから、全く見なくなったが…」 「…そうだったのか」 いろいろな勘違いと、意地っ張りを乗り越えて、 二人はようやく、元の関係へと戻れた――― そういうことか、と大地は納得した。 END |