Taciturn prince |
「小日向ちゃんに、好きなタイプは?って聞いたんよ」 「ほう。それで?」 「俺、あまりにけったいな返答もろてしもうて、驚いたわ」 「焦らすな、蓬生。小日向の好きなタイプ、一体どんな男なんだ」 買い出しに行く車の中、芹沢は後部座席で黙って二人の会話を聞いていた。 小日向かなで… 全国学生音楽コンクールにて、至誠館、神南を下し、天音学園との決勝を控えている星奏学院のアンサンブル――― の、1stヴァイオリンを務める女子。 最近は、いやになるくらい彼女の名前を聞く。 今こうしているように、東金と土岐が二人揃っていると、バカみたいにかなでの話題で持ち切りになり。 至誠館、星奏学院の男子と一緒にいる時も、彼女の話題ばかり。 …周囲の男子の心を一様に掴んでいることは、理解していた。 だがそれがなぜ彼女なのかは理解できなかった。 神南にも、あの程度の女子なんて五万といるし、特に東金や土岐などは、かなで以上のレベルの女子から言い寄られることだって少なくないのだ。 音楽の話でいったら、如月律の方がよっぽどすごい。 本当に、バカみたいにバカみたいな女子の話題に夢中になる周囲の男を、芹沢は内心見下していた。 その影響かはわからないが、かなでのことだってあまり好きではない。 「『自分が危険にさらされた時、身を呈して守ってくれるような王子様みたいな人』なんて言いよった」 「ははは!小日向らしいじゃねえか」 …なにが「小日向らしい」だ。 アホか。 高校2年にもなって、「王子様」なんて単語が出てくる時点で芹沢なら引く。 もしくは、わざとだろうか。 好きなタイプは…なんて、どうでもいい対象の人間には聞かない。 土岐がかなでに好意を持ってることを悟り、わざと幻滅されるよう仕向けたのではないか。 そうだとしたら、彼女はなかなか策士だ。 …まあ、そんな言葉を聞かせても、土岐はむしろ「可愛い」だなんて思っているようだから、計画は破綻しているのだが。 「ほんま可愛えなあ、小日向ちゃん。まだまだお子様なんやね」 「ヴァイオリンを弾いているとそんな風には見えないんだがな。しかし、王子様か…」 「王子様、ちゅう点なら俺も立候補する自信はあんで。けどな、日常生活で危険が迫ることなんてそうそうないやん?」 「確かにな。それは難しい」 …思わず嘲笑が漏れた。 何をそんなに真面目に考えているんだか。 どうせこの夏が終わったら、星奏学院の生徒とも至誠館の生徒ともお別れだ。 その気がなければ、もう会うこともないだろう。 それなのに、ちょっとばかり目立った他校の女子に熱を上げてどうする。 …芹沢にとっては、敗北したというのに横浜に留まっている今の状況もわからなかった。 本来ならば、次の夏に向けて、地元で練習に勤しんだ方がよほど有意義だと思うのに。 「なあ、芹沢。お前は小日向のこと、どう思ってんだ?」 「は?…俺ですか」 「あんただけは小日向ちゃんのこと、なんも話さんもんね。興味ないのん?」 「芹沢。お前だって、恋愛くらい自由にしたっていいんだぜ。小日向に限らず、な」 「…はあ」 「あんた、浮いた話のひとつもせんやろ。俺ら心配しとるんやで?先輩なりに…な」 何か言っている。 浮いた話ばかりの先輩が。 下手に反論するのも面倒だ。 芹沢はいろいろと言いたい気持ちをぐっと堪えて、いつものようにすました顔で前を向いていた。 「待てよ、かなで!」 「小日向さん、大丈夫ですか?」 「…俺がやってやる。あんたは…休んでろ」 寮に帰っても、小日向、小日向、小日向。 壊れたレコードでも聞いている気分だ。 「ううん、いいの!私、やる!………あっ、こっちじゃなくて…」 「かなで、だから言ったろ?そんなん、俺たちに任せておけって」 「無理しなくていいんですよ、小日向さん」 「………」 呆れた目で彼らを見つめる。 …DVDプレーヤーの配線くらいでいちいち騒ぎすぎだ。 しかも、そんなことも満足にできず、もたもたしているかなで。 初めて立って歩く赤ん坊を危うげに見守るかのように、あれやこれや手をやこうとする周囲の男子。 かなで一人に対し、数人の男子が手を貸そうとしている。 彼女も、そんな状況を疑いもせずに当然のように受け入れて――― お姫様気取りか?殺すか? 「…あれ、映らない…」 結局、男子の手を借りて配線を行ったものの、うまくいかなかったようだ。 なんでだろう、なんて首を傾げている一同をさすがに見かねて、芹沢は口を出してしまった。 「おそらく…、テレビの後ろの端子が」 芹沢が少しばかりテレビの後ろをいじると、テレビ画面にはDVDの起動画面が映った。 「あっ!映った!」 「(当たり前でしょう…)」 たったそれだけで、一同はすごいすごいと色めきだった。 …どんな茶番だ。 「芹沢さん、すごいですね!機械に強いんだ!ありがとうございました!」 かなでは満面の笑みで芹沢を褒めたたえた。 これが、他の男子なら顔でも赤らめて鼻を高くするのだろうが… 芹沢にとっては、かなでに対する嫌悪感が増すだけだった。 「………いいえ。どういたしまして」 「ね、芹沢さんも一緒に見ましょう!このDVDね、新作で、話題になってたやつで…」 「すみません、俺は遠慮しておきます」 こんな戯れに付き合っていられるか。 芹沢はラウンジを出ていった。 「…なんだよ、アイツ。いつも無愛想なヤツだよな~」 響也はむっとした顔で芹沢を見送っていた。 かなではすかさず反論する。 「そんなこと言ったら失礼だよ。…芹沢さん、優しいじゃない。なんでもできるし」 「ただの雑用だろ?」 「もう!響也は!」 「…彼は、言葉は少なですが。いろいろと、有能で気が利く人ですよね」 八木沢が微笑むと、かなではうんうんと頷いた。 「ですよね!」 「確か…、このあたりに…」 今日は土曜日。 かなでは、人通りの多い駅前を携帯を見ながらうろうろしていた。 『場所がわからないだろう。俺と大地も一緒に行くから、かなでは少しそこで待っていろ』 『大丈夫!携帯でお店の地図出してあるから!』 『いや、だめだ。一人で行っても…』 『大丈夫だってばー!じゃあね!』 『っ、こひな』 今日はいつも行っている楽器屋とは別の楽器屋に行くことになっていた。 いつもの楽器屋には置いていない弦が、そちらの楽器屋にはあるとのこと。 律や大地と一緒に行く約束をしていたかなでだったが、進路相談などの関係で、二人は少し遅れてくるという。 二人を待っているのも退屈なので、かなでは携帯の地図を頼りに一人で楽器屋へ向かっていた。 「えーっと。そこにコンビニがあるでしょ。だから…」 繁華街からやや外れて、路地が多い場所に出る。 携帯を逆さまにしたりして見てみたが、路地が多いせいか道がよくわからない。 「こんちゃーっす」 「?」 頭上から声が降ってきて、かなでは顔を上げた。 …そこには、知らない男二人。なんだか、ホストみたいな格好をしている。 むわむわときつい香水の香りが漂ってきて、かなではくしゃみしそうになった。 「なになに?迷子系?」 「ちょい見せてみ」 「あっ、」 携帯を取り上げられた。 勝手にぽちぽちと操作しはじめる彼ら。 一体なんなんだろう、とかなでは携帯を取り返そうとした。 「ちょい待ちちょい待ちー」 「返して下さいっ」 背の高い男性に携帯を持ち上げられ、かなではぴょんぴょんとジャンプする。 それが可愛くて、二人はかなでをからかった。 「あはははは、可愛くね」 「なー」 「かっ…返して下さい…」 悲しげな目をしているかなでを見つめてから、二人は顔を見合わせた。 それから、にやりと薄気味悪い笑みを浮かべる。 「はーい、ちょっとこっち来てー」 「えっ?!な、何するんですか!」 ぐい、と腕を引っ張られ、ビルの裏の方へ連れていかれそうになる。 さすがにまずいと気づき、かなでは思い切り叫んだ。 「や、やめて!誰か、助けて!」 人通りが少ないとはいえ、まったく人がいないわけではない。 通行人がなにごとかと三人を眺めていた。 「おっけーおっけー、そーゆーカンジ。うまいうまい、そのままねー」 「(えっ?!一体、何を…)」 「撮影もその調子でねー」 「(なっ…?!)」 通りすがりの人々は、好奇の目でかなでたちを見ていても、助けてくれようとはしない。 かなではずるずると路地裏へ引きずられていった。 「い…いやあ!誰か、誰か助けてえっ!」 「(………ふう)」 暑い。 真夏の太陽を呪いながら、芹沢は紙袋を抱え直した。 中身は、大量の高級茶葉。 せっかく横浜に来たのだから、ご当地の高級紅茶を飲んでみたいという東金のわがままで、芹沢は一人買い出しに行くはめになった。 足になることだけが取り柄みたいな副部長は、こういう時に限って行方不明だ。 だが、こちらに来てからあまり一人で過ごす機会がなかった芹沢。 小さなお寺などに寄り道しながら、何気にこの時間を満喫していた。 「ねえねえ、なにさっきの」 「なんかの撮影じゃね?」 すれ違った男女が、芸能人でも見たように興奮しながら何か話していた。 「助けなくてよかったのかなぁ…」 「だって、撮影だったら困んじゃん。ああいうのの撮影って、バックにアッチ系のがついてんだろ?関わりたくねーよ」 「でも本気で拉致とかだったら…」 「だとしても関わんないのが一番じゃね?俺らにはなんの関係もねーし」 「あれ…、この辺りでよく見かける制服だったけど…」 …なんだろう。 事件の匂いがする。 今日はわがまま大王もわがまま大臣もいない。 ちょっとした好奇心が生まれた。 芹沢は、彼らが来た方の道を進んでいった。 「んーっ!んんんー!」 男に口を塞がれ、かなでは必死の抵抗を続けていた。 「どーする?」 「まあ売るのが一番だけど、俺らがここで一発ヤってもいいんじゃね?」 かなでの顔が青ざめる。 売る?ヤる…? かなでも、いきなりのことだったのでロクに抵抗できなかったのがいけないのだが、 彼らはあまりに手慣れていた。常習犯としか思えない。 それに、ちゃんと声を出して助けを求め、それを聞いている人だっていたのに、 …誰一人、助けてはくれなかった。 都会の人間は冷たいというが、まさかこれほどとは。 学院の周囲の人々は、地元の人々と同じように優しく暖かかったから、油断していたのかもしれない。 こんなことになるなら、ちゃんと律や大地を待っているんだった――― 「あー、だから抵抗すんなって!うぜーな!」 ぱしん、と頬を叩かれ、じんじんと痛む。 なんでこんなことをされなければいけないんだろう。 そう思うと、抵抗の言葉より先に涙が出てきた。 「薬使うか?」 「そーしよーぜ。ラリってる方がこの子もラクなんじゃね?」 「………」 カップルたちが歩いてきた方の道に来てみたものの、特に何もない。 事件は終わった後なのだろうか…。 芹沢は、寂しい路地裏をちらちらと見ながら歩いていた。 何もないのか… 「うっ…、う、うっ、うっ」 「………?」 ある路地のそばまできた時、妙な声がした。 呻き声のような… 気味が悪いな、と思いつつ、その声が聞こえてくる路地裏へ入ると… 「………小日向さん?」 そこには、男二人とかなでがいた。 片方の男は、かなでを羽交い締めにし、彼女の口を塞いでいる。 彼女が厄介事に巻き込まれていることは、すぐにわかった。 「何を…」 「あー、今AVの撮影中だから。邪魔しないでくんない?」 カメラもないのに、無茶苦茶な嘘をつく連中だ。 芹沢はずんずんと彼らに近づいてゆく。 …正直、かなでのことなど知ったこっちゃない。 それに、襲われている女の子を積極的に助けるほど、果敢でもないが… 見てしまったからにはなんとかしないと、後で部長たちにどやされる。 面倒だが、どちらかといえば部長たちにどやされる方が面倒だ。 「あ?なんだよ、撮影中だって言ってんだろうが!」 「バックに誰ついてんのかわかってんのか?!」 ただのチンピラ被れに何を言われようと、なんとも思わない。 それに、芹沢の地元―――神戸には、更に厄介なのがわんさか溢れているのだ。 「お?なんだよ、やんのかコラ!」 ずんずんと近づいてきた芹沢に、男たちは好戦的な態勢を取る。 そしてかなでから離れた一瞬の隙を、芹沢は見逃さなかった。 これを待っていたのだ。 「っ………てめ」 ダン! 一瞬のことだった。 かなでの近くにいた男の腕が芹沢に掴まれたと思うと、 彼は空中でひっくり返って背中から地面にたたき付けられた。 一本。 そう言わざるを得ない、華麗な一本背負い。 「ぐっ…」 男はうめき声を上げながら立ち上がろうとしたが、腰が抜けたらしくぶざまにじたばたしていた。 「てっ…てめえええ!」 もう一方の男は怯むでもなく、逆に頭に血が昇ったらしく、ポケットからぎらつく刃物を取り出して叫んだ。 呆然と事態を見つめていたかなでも、さすがにそれを見て顔が青ざめる。 が、芹沢は表情ひとつ変えずに男を見据えている。 「せ、芹沢さ」 「おらァァァ!」 刃物をかざして突進してくる男をそらで交わし、足払いをかける。 男は勢い余って、盛大に前方へとすっころんだ。 「くっ…」 芹沢は刃物が握られた手をぐりぐりと踏み潰した。 その痛みで刃物を手放したのを確認すると、ハンカチを使いながら拾い上げ、遠くへ投げた。 「あ…」 近くに携帯が落ちている。 小さく声を上げたかなでに、その携帯を拾い上げ、渡した。 「………。行きましょう、小日向さん」 「えっ、あっ………。は、はい!」 何事もなかったかのように平然と歩きだす芹沢。 倒れた男たちを尻目に、かなでも彼の後を追った。 しばらく歩いて。 芹沢は、かなでがちゃんとついてきているかどうか確認すべく、後ろを振り返った。 「………」 芹沢は少し驚く。 てっきり、さめざめと泣いているかと思っていたかなでが、やたらキラキラした瞳で自分を見つめていたからだ。 泣いている女性を慰める術を知らないから、敢えて何も言わなかったし… 言葉をかけてやる義理もないから。 「ど…どうかしましたか」 「大丈夫か」などと言葉をかけると、また面倒なことになると思ったので、黙って歩いてきたが… その意外なかなでの様子に、思わず声をかけてしまった。 「芹沢さん…」 「はい」 「芹沢さん、かっこいい!」 「え?!」 がば! いきなり抱き着かれ、芹沢は焦った。 かっこいい? なんなんだ、一体! 「芹沢さん、すごい!助けてくれて、ありがとう!」 「え、あの、」 ここは人通りの多い道。 こんなところで抱き着いてくるなんて、一体どういうつもりなんだ。 なのに、かなではちっとも気にせず、芹沢の胸に顔を埋めている。 「小日向さん、ちょっと」 「芹沢さん…!芹沢さんが、私の王子様だったんですね!」 「はあ?!」 かなでは顔を上げて芹沢を見つめた。 頬はやや赤らみ、瞳はキラキラと輝いている。 ………厄介なことになった。 「それでね!バーンて!ダンって!」 かなでは寮に戻ると、そこにいた人々に興奮気味に芹沢の武勇伝を語った。 「…へえ」 面白くないのは、かなでに想いを寄せている男たち。 神南の部長や副部長も例外ではない。 「…芹沢、ようやった。なんや、あんたなかなか女の子たらしこむのんがうまいんやね?」 「見直したぜ、芹沢。今度は俺のボディーガードでもしてもらおうか」 ほうら。 助けなかったら助けなかったで面倒なことが待っているが、助けたら助けたで面倒だ。 芹沢はうんざりしながらも黙っていた。 かなでもかなでだ。 襲われたことなんて、黙ってりゃいいものを。 「…でも、ちょっとまずいんじゃないのか?バックついてたんだろ、制服で学校割れてるし、報復されたらどうするんだよ?」 「さすが、星奏のお坊ちゃん。バックついとる…なんちゅう言葉、鵜呑みにしとるんやね」 「はっ、バカだな如月弟。路上で女襲うような野良犬に、組織なんてついているわけがないだろう?」 「っ…なんだと!もし本当だったらどうすんだよ!」 「ほんま…やったら?どないやねん、千秋?」 土岐は薄く笑って東金を見遣る。 東金も笑みを漏らして、しばし土岐と見つめ合った。 「千秋のバックのんが、怖いやろね。なんせ、ほんまもんの…」 「蓬生。皆まで言うな」 「(なっ…なんだよ!バックに何がいんだよ!)」 そんなやり取りを眺めながら、芹沢は本日何度目になるかわからないため息をついていた。 「芹沢さん、はい!」 「………なんでしょうか、これは」 翌日。 かなでに渡されたのは、可愛らしくラッピングされたクッキー。 通りすがる男たちの視線が痛い。 「クッキー…、嫌い…ですか?」 しょんぼり。 目を伏せるかなでに、芹沢は愛想笑いで返す。 「あ…、俺に頂けるんですか。ありがとうございます」 「…えへへ。どういたしまして!」 かなではぱたぱたとラウンジを出ていった。 「(どうすべきか、これは…)」 受け取ったクッキーを眺めて、考える。 どうやら… 昨日のお礼のつもりらしい。 芹沢からしたら、「助けた」つもりはないから、こんなことしてもらわなくてもいいのに。 「…なあ、色男はん。ええなあ、小日向ちゃんの愛情がたーっぷり入った、クッキー」 ほうら。 こうなる。 「うまそうだな。芹沢、とくと味わって食うんだぞ?」 「………。よろしければ、差し上げますよ。俺はそこまで、甘いものは好きじゃないですし」 そう言うと、土岐ははん、と笑った。 「さすがやわ~、こんなんいつももろてるからありがたみないゆうことかいな。羨ましい限りやわ~、なあ、千秋?」 「『お前が』もらったものだろう。俺たちに遠慮するこたあない、さ、目の前で食うがいいさ」 「……………」 女性のいがみ合いも醜いというが。 男の嫉妬だって、みっともないものだ。 これがかなででなければ、先輩を出し抜いてやったと優越感に浸れるのかもしれないが… 優越感どころか、面倒以外の何物でもない。助けた相手が悪かった。 「……………」 「……………」 芹沢は眉をしかめて歩みを止めた。 それからため息をついて、後ろを振り返る。 「…あっ!」 そこには、かなでが「気づかれちゃった」という顔で立っていた。 …今気づいたわけではない。寮から、今ここに来るまで、かなでがついてきていることなど最初からわかっていた。 最初は、偶然向かう方向が一緒なのだろう、と思い込むようにしていたが。 ここまでついてこられたら、さすがに偶然ではない。 「…小日向さんも、ここに用事が?」 「えっ!…あ。………いえ」 「違うんですか」 ここは、菩提樹寮から少しだけ離れたお寺。 どうやら地元にある寺とゆかりがあるらしいと知り、せっかくだから出向いてみた。 かなでに何か用事のある場所とは思えない。 でも、「つけてきたんでしょう」なんて言えないので。 わざと気づいてなかったように振る舞った。 「えっと…その…。芹沢さんのこと、つけてきちゃいました!」 「………は」 それを白状するか。 隠されたら隠されたでイラつくが、バラされても反応に困る。 「そ…そうなんですか」 「はい!私、もっと芹沢さんのこと知りたくて」 「っ………」 信じられない。 どうしてそんな恥ずかしいことをにこにこしながら言えるんだ。 こっちが恥ずかしくなってくるじゃないか! 「………。俺のことなど。知って頂いても、面白くないと思いますよ」 「えっ、そんなことないですよ。今日は、なんでここに来たんですか?」 「いえ、あの…」 かなでにあれやこれや聞かれて、寺社仏閣めぐりが趣味の1つであること、柔道の有段者であることを話した。 たいして面白い話ではないだろうに、かなではうんうんと目を輝かせて聞いていた。 「ただいまー!」 「ただいま帰りました」 結局、寮にも二人一緒に帰ってきた。 ヴァイオリンの練習をするというので、「じゃあ俺は先に帰ります」と言ったら、「聞いていって下さい!」と半ば強制的にそこに残された。 …ほぼ一日中、一緒に過ごしてしまった。 「おかえり~、小日向ちゃん…?」 言いながら、土岐は横目で芹沢を見た。 「芹沢さん、今日はありがとうございました!私、部屋に戻りますね!」 「えっ…あ、はい…」 「………」 かなでが部屋に戻ったのを見届けてから、土岐はつつつと芹沢に近づいた。 「なんや。デートかいな。あんた、意外と手え早かったんやねぇ?」 「………」 「なんだって?芹沢がデート?小日向と?」 様子を見ていた東金も近づいてくる。 …もう、反論する気も事情を説明する気もなかった。 「ふーん…。ずいぶん好かれてもうたね。当たり前か、あんたは小日向ちゃんの危機を救った王子様やもの」 「は…?」 …そうだ。 なんかそんなことを言っていたような気がする。 しかし、好きなタイプがそうだったとしても、あまりに単純すぎやしないか。 好きなタイプなど、あくまで「理想」。 理想でどう考えていても、普通は「好きになった人がタイプ」なことが大半だ。 「芹沢、デートしたってんなら、キスのひとつやふたつはしてきたんだろうな?え?」 「もっと先まで進んでしまったかもしれんよ。どこまでいったん?Bか?Cか?」 どこかヤケになっている先輩たちをはいはいと交わして、芹沢は自室に戻った。 「芹沢さんて、彼女いるんですか?」 ………。 今日も、かなでは芹沢の後をくっついてきた。 途中、かなでがついてきていることに気づき、わざと入り組んだ路地に入り彼女をまこうとしたのだが… 芹沢の姿を見失っておろおろしている様子を見て、ついつい再び彼女の前を歩くことにしてしまった。 …うろたえる彼女を路地裏からこっそり伺ってしまう自分が悔しかった。 「………いいえ」 「じゃあ、好きな人は?」 「…特に」 「そっか…」 その答えを聞いて、かなでは嬉しそうにしている。 しまった。方便でも彼女がいるとか言っておけばよかった。 二人は、駅前の喫茶店にいた。 今日は、ここの店の紅茶を買ってこいと言われたので、茶葉だけ買って帰るつもりだったのだが… かなでが暑さであまりにも真っ赤な顔をしていたので、しばらく休んでいくことを勧めた結果、芹沢も付き合うことになってしまった。 「あの…。私、芹沢さんのことが好きになっちゃったみたいなんです」 芹沢は飲んでいたアイスティーを吹きそうになった。 告白?!こんなところで?!もう?! 告白とは、もっと終盤にするものではないのか。 よくも恥ずかしげもなく、そんなことを言えるものだ。 前にもこんなことがあったが、こっちの方が恥ずかしくなってしまう。 「あ…あの、小日向さん…」 「芹沢さんに今彼女とか好きな人いないなら、私を彼女にして下さい!」 かなでの瞳はキラキラと輝いている。 芹沢は頭を抱えた。 もし本当に付き合うことになったら、距離的な問題をどうするつもりかなど、言いたいことは山ほどあったが、 とりあえず一番先に出てきたのは。 「小日向さん。…今のあなたは、危機を救った俺が少し良く見えているだけなんじゃないですか」 「はい!」 「(どうしよう…バカだ…)」 芹沢は更に頭を抱えた。 「今のあなたの気持ちは、一過性のものです。だから、そんなひと夏の気持ちの高ぶりで決めてはいけないと思うんです。どうですか、もっとよく考えてみては」 「芹沢さん…。私のこと、そんなふうに大切に考えてくれてるんですね?!」 「は?」 かなでは立ち上がらんばかりの勢いで続けた。 「そこ!芹沢さんのそういうところが好きなんです!言葉少なでも、ちゃんと相手のこと思いやってるっていうか!」 「…は?」 いやいやいや。 そうじゃない、そうじゃないのに。 更にかなでを煽ってしまったらしい。 かなでは本当に素直というか、建前をそのまま吸収するというか。 とにかく、かなでに建前は通じない。だから、少し現実を見せてやらねばならない。 「…小日向さん。あなたは、俺を買い被っていますよ。もし俺たちがそういうことになっても、夏休みが終わったら遠距離恋愛ということになりますよね」 「遠距離恋愛…!ちょっと憧れてたんです…!」 「………。それで。俺は不義理な人間ですから、あなたがいないのをいいことに、浮気を働く可能性だってあるわけです」 「それはないですよ~!」 …なんだ? なんかちょっとムカつくぞ、今の発言。 「いやいや、しますよ。だから、俺よりも…そう、うちの部長や副部長…もしくは如月くんなどですね…」 「芹沢さんは浮気なんかする人じゃないもん!だから、大丈夫です!」 何が大丈夫なんだ。 その根拠のない信頼感はどこから出てくる。 芹沢はだんだんイライラしてきた。 「芹沢さん…、怒っちゃいました?」 さすがにかなでも気づいたようで、芹沢の顔色を伺うように顔を覗き込んできた。 これはチャンスだ。 「ええ、まあ、正直むっとしましたね」 「わあ!芹沢さんって、怒るとこんな顔になるんだー!うふふ」 「(怯まない…だと…?)」 げに恐ろしきはバカのポジティブシンキング。 「…あまり無駄な時間を過ごしていると部長に怒られますから。そろそろ、失礼します」 芹沢はそう言って伝票片手に席を立った。 「はーい!」 ち が う ぱたぱたとついてくる足音にうんざりしながら、芹沢は店を出た。 あれから数日。 かなでに追い回される日々は続いていた。 周囲の男子はすっかり諦めた様子で、もう何も言わなくなった。 部長や副部長がおとなしいことに、少しの恐怖すら感じていて。 …彼らが、芹沢が思っていたよりかなでに本気だったことにも、気づいてしまって。 「…小日向さん」 今日は一人菩提樹寮に残り、ラウンジで部の事務処理をしていた芹沢。 かなではずっと、そんな彼の様子を向かいの椅子に座って眺めていた。 「はい!」 「…本当に、俺のことが好きなんですか」 「はいっ!」 芹沢は手を止め、かなでをじっと見つめた。 「…俺のことを好きになっても、無駄ですよ」 「えっ?どうしてですか?」 「俺は、あなたのことを好きではないからです」 「え…?」 「気づいていますか?周囲の男性の気持ちを。…無意識かもしれませんが、あなたは周囲の男性を散々虜にしておいて、いきなり俺に熱を上げはじめた。彼らは、とても傷ついているに違いありません」 「そ…それは…。そんなこと、私…」 「気づかなかった、のでしょうね。でも、俺は。そんな無神経なあなたに良い印象など持っていません」 「っ…」 「俺は本来、人の面倒を見るのが嫌いな性格です。今は、部長の影響で面倒見をよくせざるを得ないだけで。…あなたは、どこかで誰かに面倒を見てもらうのが当たり前だと思っていませんか?そんなあなたと俺では、相性も悪いでしょう」 「………!」 「だから…。もう俺につきまとうのは、やめてもらえませんか」 芹沢はあくまで冷静に語った。 かなでは俯いて、肩を震わせている。 本当は、ここまで言いたくなかった。 けれど、ここまで言わないと彼女は理解してくれないだろう。 良心がズキズキ痛む。 「わかり…ました…」 かなではゆっくり立ち上がり、ラウンジを出ていった。 ………これで、平和な日常が戻ってくる。 清々していいはずなのに、芹沢の心は重苦しかった。 「この偽悪者」 そんな声に顔を上げる。 …東金だ。 「…聞いていたんですか。部長も人が悪い、少しは助け舟でも出して下さればいいものを」 「助け舟?どっちに」 「俺にですよ」 「………。なあ、芹沢。小日向の、どこがそんなに気に入らない?」 東金はソファーに腰を下ろし、だらしなく寝そべった。 「しいて言えば、全部…ですか」 「まったく…」 はあ、とわざとらしくため息をつく東金。 「彼女を慰めにいってあげて下さい。弱っているところに優しい言葉をかけると女性はなびく、というでしょう」 「あいにくだが、お前のおこぼれを頂戴するほど俺も情けない男じゃないぜ。…それにあいつは、ああ見えて意思の強い、頑固な女だ」 「………」 「お前も、そんなことわかっていただろう?」 東金の言う通りだ。 実際、言葉で言うほど芹沢はかなでに悪い印象を抱いているわけではない。いいところだって、たくさんある。 なのに、なぜこうも彼女を遠ざけようとするのか。 ……………。 ああ、そうか。 芹沢は、やっと自分の気持ちを認めてやることができた。 「(きっと、俺は―――)」 「よい………っしょ」 夜の菩提樹寮。 かなでは一人、レンガを運んでいた。 最近、一時的なものとはいえ人が増えた菩提樹寮。 今までろくに手入れされていなかった庭も、八木沢を始め関心を持つ人も増えてきて――― 先日、崩れかかった花壇を新しくしようという話が持ち上がったのだ。 かなでもその話には賛同した。 そして今日の昼、レンガが届いたのだった。 本当は昼間にやろうと思ったのだが、 そこで芹沢の話を思い出した。 昼間やったら、絶対誰かしらの目に止まってしまい、手伝われてしまう。 芹沢の話を聞いてから、なるべくいろんなことを一人でやろうと決意した。 確かに、自分は何をするでも人に助けられてばかりだと思う。 人を頼ってばかりなわけではないが、誰かしらすぐに手を貸してくれるから、それに甘んじて… でもそれは、自分が頼りないからみんなが助けてくれるのであって。 「よい…しょ、わあああ!」 重いレンガを一度に運ぼうとして、バランスを崩す。 ケガはしなかったが、きちんと積まれていたレンガはバラバラになってしまった。 「………」 なんでこんなことくらい満足にできないの。 じわりと涙が溢れそうになったが、ぐっとこらえる。 …こんなだから、芹沢さんにも嫌われちゃうんだ… と、目の前のレンガがひょいひょいと宙に舞った。 …ように見えたのは、誰かがレンガを拾ったからだ。 「…まったく。どうして一人でこんなことをしているんですか」 ………芹沢だった。 「せ、芹沢さん…!」 芹沢は手際よくレンガを積み、かなででは持ち上げるのも一苦労だったそれらをまとめてひょいと持ち上げた。 その男らしさに、しばし見とれる。 …いやいやいや! かなではふるふると頭を振り、芹沢の服の裾を掴んだ。 「わ…私一人でやります!」 「…どうしてですか?」 「だって…、その…」 「俺が言ったことを気にしているんですか?」 「………」 芹沢は、はあ、とため息をついた。 「俺は、なんでもかんでも一人でやれなんて言っていませんよ。…こんな力仕事なら尚更」 「………」 「確かに、俺は言いすぎました。…申し訳ありませんでした」 ぺこりと頭を下げた芹沢に、かなでは慌てる。 「い、いえ、そんな!」 「…とりあえず、話はこれを運んでからです。一度手をつけて、放っておくわけにもいかないでしょう。…あなたは少しずつでいいですから、運んで下さい」 「は、はい!」 「ちょっと待って下さい。…これを」 渡されたのは軍手。 「あなたはヴァイオリニストでしょう。指を傷つけたらどうするんです」 「は…はい…」 なんとかレンガは運び終わった。 あとはセメントを使って積んでいくだけ。 しかし、その作業は夜にやらない方がいいということになった。 芹沢とかなでは、テラスの椅子に座り、向き合う。 「…お疲れ様でした、小日向さん」 「お、お疲れ様でした。…ありがとうございました、芹沢さん」 「………」 芹沢はしばし俯き、目を閉じた。 一体何を言われるのだろう。また呆れられてしまったのだろうか、とかなでは萎縮する。 「認めたくはありませんが。…俺は、あなたに嫉妬していたようです」 「………えっ」 予想外の言葉に、かなでは目を見開く。 …嫉妬、とは、どういうことだろう。 「あなたは素直で、自分の気持ちを隠すことをしない。…周囲の人間も、あなたができないなりに頑張っている姿を見て、助けずにいられなかったのでしょう。…今回だって、俺も例外ではない」 かなでを注視するようになってからのこの数日間。 芹沢は、なぜ自分がかなでに嫌悪感ばかり抱いていたのかを再確認した。 自分の気持ちに素直で、なんでも率先してやろうとする彼女。 でも、全てを一人でやれるわけじゃない。 ひたむきな姿に、思わず手を貸してしまう周囲。そう、かなでには手を貸さずにいられないのだ。 男子が多い中、少ない女子であることも理由の一つではあるだろうが。 人に「助けてあげたい」「かまいたい」と思わせる人物を、「人望がある」と呼ぶ。 対して、芹沢は… 自分の気持ちを素直に表に出すことが苦手で、心の中ではついついひねくれたことを考えたりして。 彼女とは、正反対の人間。 それが羨ましくて、どこかで嫉んでいたのだろう。 女性であるかなでに嫉妬するなんて、そんなこと認めたくなかった、が――― ここでこのまま夏を終えてしまったら、後味が悪い。 それに、いつまでたってもそんな自分のままでいるのもいやだと感じた。 ここは、素直に自分のいやなところを認めてみようと思った。 更に… いつもいつも部長や副部長ばかり注目されて、存在感が薄かった自分が、おそらく初めて女の子に好意を持たれた。 そんなチャンスをみすみす逃すのも損だ、と思ったのが正直なところだ。 「…どうですか。幻滅しましたか、俺に」 「そ…そんな。私はむしろ…、なんでもてきぱきこなしちゃう芹沢さんに憧れてて…」 「人は、自分にないものを求めるものです。真逆の人間同士が関わることなんて、不可能に近いことだと思っていましたが…。今は、それも興味深いかもしれない、と考えています」 「え…」 それって、とかなでの顔に僅かな光がさした。 「…しかし、俺としてはまだあなたに恋愛感情を持っているわけではありません。でも、少し歩み寄ってみようか、とは思っています」 「………!は、はい!」 「あなたの気持ちが一過性のものでないのなら、………いつか俺を振り向かせてみて下さい」 「は、はいっ!私、頑張りますっ!」 どこまで上から目線なんだ、というくらいの言葉にも、素直に頷いてしまうかなで。 今では少しだけ、この素直さが可愛いと思える。 嬉しそうなかなでを眺めて、芹沢は少しだけ笑った。 「…性懲りもなくまたラブレターを送ってきたのか」 慌ただしい夏が終わった。 神南高校の面々も、地元・神戸へ帰還し、2学期を過ごしている。 夏が終われば、彼女の熱も冷めるかもしれない――― 少しだけ残念な気持ちで神戸へ帰ってきた芹沢だったが。 …かなでからは、週に一度、律儀に手紙が届いている。 あえて携帯の連絡先を教えなかったこともあるが、 神南高校宛に手紙が届けられた時は、さすがの芹沢も驚いてしまった。 「小日向も諦めが悪いな。なんだ、どんなことが書いてある」 東金に手紙を覗き込まれそうになって、芹沢は手紙を折り畳む。 「プライバシーですから」 「なんや、また手紙?…俺が代わりに返事書いたるよ、貸してみい」 「返事くらいは自分で書きますよ」 いつも世話をやかされっぱなしの先輩たちにこうして羨ましがられるのは、なかなか気分がよかった。 「………いい加減、お前も小日向の好意に応えてやったらどうだ。せめて、年が変わる前にでも」 手紙をもらいはじめてもう3ヶ月。 季節は冬に向かっている。 「俺は、何事にも慎重ですから。でも、そうですね…。せめて、追伸のあたりには返事しましょうか」 「追伸?何言っとう」 かなでの手紙の最後には、いつも決まってこう書いてある。 P.S. 芹沢さん、私のこと、好きになってくれましたか? 当たり障りのない、日常生活の報告など―――そういった部分に対しては、返事を書いていたが、 いつも追伸の部分には触れなかった。 俺は慎重なんです。 それに、好きになられた側なんだ。少しくらい相手を試すようなことをしても構わないと思いませんか? まあ、でも。 ここまで焦らしたら、次に進んでもいいかもしれないと、思いはじめたんです。 P.S. お返事は、電話でお話します。 次回、あなたの携帯番号を書いて送って下さい。 芹沢は、返事の最後をそう締めくくった。 END |