Memories

「っは~…。………って、なんで今まで黙ってたんだよ!」

「いや俺も、ようやく最近見つけたんだ」

「(あれ…?)」

響也や律を探して、部室のドアの前まで来ると、
何やら中で二人が言い争っているような声が聞こえた。

「(………はあ)」

かなでは短くため息をついて、たてつけの悪い部室のドアノブを握る。

「―――こらあっ!また二人でケンカして」

「うわあああ!」

「…小日向?」

二人のケンカを止めるべく、かなでは大きな声で叫びながら部室に乗り込んだ。
響也は大袈裟に驚いて、椅子から転げ落ちている。

「ななな、なんだよ!いきなり入ってきて大声出して、驚かせんなよ!」

「…ったく、大袈裟に…。響也はホント、ビビリなんだから。って、そうじゃなくて!また二人でケンカしてたでしょ?!」

「…ケンカ?いや、俺たちはケンカなどしていないが?」

「え?だって、なんか騒いで…」

「騒いでたらケンカになるのかよ」

いてて、と尻を摩りながら、響也が立ち上がる。

「あれ?違うの?」

「違う。…ほら、これだ」

律に手渡されたのは、一枚の写真だった。

「あっ!私たちが小さい頃の写真だね。これがどうか…?」

「ばーか。よく見てみろよ。ただの俺らのガキの頃の写真だったら、あんなに驚くかよ」

「………?………あーっ?!」

かなでの手の中にある写真には、幼い頃のかなで、響也、律が写っている。それだけなら実家に何枚もある写真だ。
しかし、問題は「三人が写っている場所」だった。

「これって…。どう見ても、星奏学院じゃない!」

「そ。星奏学院の、練習室」

「な、なんで…?」

「なんだ、二人ともすっかり忘れていたみたいだな」

律は小さく笑って、かなでの手から写真を取る。

「ほら、お前だってそーゆー反応じゃんか。この写真見て、驚いてたってわけ」

「………。なんで?私たち、星奏学院に来たのは…。響也と私は転校してからが初めてで、律くんは入学してから初めてじゃないの?!」

「………」

律は写真を眺めたまま、何も言わない。

「ボケてんなー、かなで。俺は写真見せられたら思い出したぜ?脳みその老化が進んでんじゃないか、お前」

「うるさいな。覚えてるなら教えてよ!」

「それが人に物を頼む態度か?」

ニヤニヤとしている響也を睨んで、かなでは律にしがみつくようにして言った。

「律くん!教えて!」

「…ったく、かなではいつも律律って…」

律は写真を眺めたまま、話しはじめた。

「あれは………8年前だな。俺が10歳で、響也と小日向が9歳の頃だ」

 

 

 

 

 

 

 

かなでの祖父は、ヴァイオリン職人だ。
そんな祖父が、「横浜の知人に会いにいく」と言い出した。
横浜に、親しくしているヴァイオリン職人がおり、彼が営んでいるヴァイオリン工房に用事があるとのこと。

当時のかなでたちは、滅多に地元を出ることがなく、祖父が都会へ行くと聞き、自分たちも一緒に連れていってほしいとねだった。

もともとは、その話を聞いた律が熱心にかなでの祖父に頼み込んでいるのを見て、なんでも真似をしたがる年頃の響也やかなでも、同じように祖父にねだったからだった。

ちょっとした用事で出掛けるだけなのに、やんちゃ盛りの三人の子供たちを連れていくことを渋っていた祖父も、最後には根負けした。

そんなわけで、かなでたちは人生で初めて、横浜へと向かったのだった。

 

「なあなあ、せっかく来たんだからさー、探検しに行こうぜ!」

「だめだよ響也!おじいちゃん、おとなしく待ってなさいって言ってたでしょ!」

「………」

「律くんもなんとか言ってよ!このままじゃ、響也勝手にどっか行っちゃうよ!」

「………そうだな。少しだけ、出てみようか」

「ええ?!」

用事が終わるまで、工房内でおとなしく待っていなさいと言われた三人だったが、案の定響也がごね始めた。
そんな響也を宥めていたかなでは、律のひとことに驚愕した。

「で、出るって…」

「少しだけ、だよ。俺もちょっと、行ってみたいところがあるんだ」

聞かん坊主でやんちゃな響也とは違い、律は大人のいいつけは必ず守る。
知らない街をうろつくなんて言語道断。
そんな律が、「工房を出てみよう」なんて言い出している。

「ちょ、ちょっと、律くんまで!」

「やりぃー♪兄ちゃんもたまには話わかるんだな!」

「大丈夫だ、道はわかる。時間もそんなにかからない」

「………」

本当は知らない都会の街をいろいろと見て回りたいと思っていたかなで。
いつでも間違ったことはせず、頼りになる律が言い出したことだ―――きっと大丈夫だろうと、頷いた。

「わかった。…律くんが言うなら大丈夫だよね?」

「おい!なんで律が言ったら頷くんだよ!バかなで!」

「なによ!」

ぎゃあぎゃあと騒いでいる二人をよそに、律は工房の出入口の扉を開けた。

 

「兄ちゃあん…。本当に大丈夫かよお…」

あれだけ外に出たがっていたのに、知らない街の人の多さに早くも不安を抱き始める響也。

「響也は本当に怖がりなんだから。さっきまであんなに外出たいって言ってたじゃない!」

「だってさ…こんなに人多いんだぞ?!もし迷子にでもなったら、絶対見つけてもらえないって…」

「迷子にならないようにちゃんと律くんについていけばいいの!」

「でもお…」

「…本当、しょーがないわね、響也は!」

かなでは響也の手を取り、握る。

「手繋いで歩いてれば、迷子にならないでしょ」

「っ…。で、でも、かなでが迷子になったら俺まで…」

「なによそれ。…じゃあ、こうすれば一番安全!」

かなでは空いた手で律の手を握った。
律は驚いてかなでを振り返る。

「………いや?」

「っ…。俺は構わないけど…」

「じゃあ、こうして歩けば安全だねっ♪」

「…三人で手繋いで歩くなんて恥ずかしいだろ」

「じゃあ響也は放せば?迷子になっても知らないから!」

「わ、わ、待てよ!」

三人の隣を通りすぎる人々が、くすくすと笑っている。
そんなことも気にとめず、かなでと響也は律が歩くまま彼についていった。

 

「なんだあ、ここ…?」

律が歩みを止めたのは、学校の前だった。

「律くん、律くんが来たかったのってここ?」

「そうだよ」

「学校?でかいなー」

「ほし………、」

「星奏学院高等学校、だよ」

かなでが読み上げようとしたその学校名を、律が代わりに読み上げる。

「高校?兄ちゃん、こんなとこになんかあるのかよ?」

「いや、ただ来てみたかっただけなんだ。…二人とも、付き合わせてしまったな。戻ろうか」

「ええっ?!もう戻るの?!」

「そうだよ、兄ちゃん!せっかく来たんだから、中入ってみようぜ!」

「いや、しかし…」

かなでと響也に圧され、律は後ずさる。
律も、入ってみたいという気持ちはあった。しかし、勝手に入ってもいいのだろうか。

「………。せっかく来たんだし…な。入らせてもらうか」

「やったー!」

かなでと響也は、手を取り合って喜んだ。

 

…かといって、どこに何があるのかもわからない。
正門をくぐると、生徒が不思議な顔をして三人を眺めていたが、声をかけられることはなかった。

「なんだか、楽器の音がいっぱいするねー…」

「ここは音楽を専門に勉強する科がある高校なんだ」

かなではきょろきょろと周囲を見回しながら、律についていく。
響也も、相変わらずかなでと手を繋いで、やはりきょろきょろと興味津々に回りを見ている。

「そういえば、律くんはどうしてここに来たかったの?」

「かなでのおじいさんが話しているのを聞いて、興味を持ったんだ。横浜に、いい学校があるって」

「ふうん…」

「なあなあかなで、今猫が走ってったぞ!この学校、猫なんかいるんだな!」

「………!」

突然、はっとしたように律が顔を上げる。
それから、きょろきょろと周囲を見渡した。

「…どうしたの?律くん…」

「あっちだ」

「っ!」

突然走り出した律に驚き、かなでも慌てて彼の後を追う。

「うわっ!なんだよ、かなで!」

「律くんが急に走っていっちゃったの!ほら、追い掛けるわよ、響也!」

「わわっ!待てよ~!」

 

「………」

追い掛けた先で、律はある部屋の窓の前で立ち尽くしていた。

「はあ、はあ、り、律くん、どうしたのいきなり」

「……………」

かなではちょっぴり背伸びをすると、律が見ている窓を覗き込んだ。

「あ…」

一人の少年が、ヴァイオリンを弾いている。
少しだけ開いた窓の隙間から、その音が漏れ聞こえてくる。

「うわあ…。きれいな音…!」

かなでにも、律がその音に聞き惚れているのだとわかった。
かなでも、律も、響也も、ヴァイオリン職人であるかなでの祖父に影響され、ヴァイオリンを習っている。
小さな田舎の村では、ヴァイオリンなんておしゃれな習い事をしているのは、かなでたち三人だけ。
こんなに美しいヴァイオリンの音色は、CDかコンサートくらいでしか聞いたことがなかった。

「なんだよ、もう…。………あっ、ヴァイオリン弾いてんじゃん!すげーな、あの兄ちゃん上手いな!」

「しっ、響也…!」

ぴたりとヴァイオリンの音色がやむ。
三人は、しまった、と顔を強張らせた。

「………」

部屋の中の少年も、ヴァイオリンを構えたまま驚いた顔をしていた。

「…なんだ、君たちは」

少年は窓を開けて、かなでたちを見下ろした。

「…あの、あの」

「うっ…」

かなではなんと言ったらよいのやら、うろたえている。
響也に至っては、既に泣きそうだ。
別に怒られたわけではないのだが、彼の気迫は、小学生のかなでたちをびびらせるには充分だった。

「…練習を邪魔して、すみません。僕たちは…」

「お待たせー、月森くん!」

びくう!
かなでたちは突然の声に縮み上がった。

「……………。あれ?」

部屋に飛び込んできたのは、一人の少女だった。
振り向きもしない少年の先を見やって、更に声を上げる。

「…え?なんでこんなところに…」

「いや。俺にもわからないんだが…」

少女はにこにこしながら窓から顔を出す。
それから、かなでたちに声をかけた。

「君たち、よかったら入っておいでよ!」

 

「………」

「………」

「………」

三人は、少女に言われるまま正面玄関から校舎の中に入り、部屋に入ってきた。
が、普段触れ合うことのない高校生二人を目の前に萎縮してしまう。

「いいのか、香穂子。勝手に中に入れて…」

「だって、寒いのに外で立たせっぱなしにしとくなんて可哀相でしょ。ね、君たちはなんでここに?」

この部屋は、練習室らしい。
その中にいくつかあったパイプ椅子を広げてもらい、かなでたちは座っている。

どう説明をしたらいいかわからないかなでや響也たちに代わって、律が口を開いた。

「この学校に興味があって…。つい勝手に入り込んでしまいました。…すみません」

「えっ!そんな、謝らなくていいよ!別に私は…」

少女は、ちらり、と隣で腕組みをしている少年を見遣った。

「…ほら。月森くんがそんなしかめ面してるから、この子たち怖がってるじゃない!」

「…別にしかめ面などしていない」

「してるってば!」

「っ、な、何をする!」

少女は少年の口端に指をひっかけて広げた。

「ほらほら、笑って笑って~」

「はへるんは!はほほ!」

「ぷっ」

吹き出したのはかなでだった。
つられて、響也もようやく警戒心がとけたのか、にこにこと笑う。

「あはは!兄ちゃん、変なカオ!」

「変な顔だって、月森くん!よかったね!」

「…いいはへん、ははへ」

 

すっかり打ち解けた五人は、練習室の中で仲良くおしゃべりをしていた。

「へえ、じゃあここにはおじいちゃんの用事で…」

「そう!かなでのじーちゃんはすっげーんだぜ!すっげーヴァイオリン、すっげー作ってて!」

「ヴァイオリンを?!」

「今日は、駅前のヴァイオリン工房の方に用事があって、それで僕たちもついてきたんです」

「…もしかして、月森くん」

「ああ。前に、俺たちが行ったヴァイオリン工房だな」

そう言った彼の名は、月森蓮。
少女は日野香穂子だ。

彼らはこの星奏学院の二年生。二人とも、ヴァイオリンをやっているらしい。

「知ってるの?お姉ちゃん」

「うん、前に二人で行ったことあるんだよ。偶然だね!」

「あの…」

和やかな雰囲気の中、律はおずおずと切り出した。
どうしたのかと、全員の視線が集まる。

「………っ、いえ、そんな。もし、だめだったらいいんですけど…」

「どうしたの?」

日野に顔を覗き込まれ、律は思わず赤くなった。

「そ…その。よければ…、月森さんに…ヴァイオリンを聞かせていただきたいと…」

「ヴァイオリンを…?そうだ、君、この学校に興味があって来たって言ってたけど。もしかして、楽器やってるとか?」

「は、はい。僕たちは三人とも、ヴァイオリンをやっています」

「…へえ!そうだったんだ!」

日野は嬉しそうに月森を振り返る。

「ね!月森くん、何か弾いてあげてよ。なんか、もうびっくりしちゃうくらいすんごい曲!」

「おおっ!すんごい曲!俺も聞きたい聞きたい!」

「ねーっ♪」

「………」

きゃあきゃあと盛り上がっている日野と響也を見て、月森は額に手をあてながらため息をついた。

「私も聞きたい!お兄ちゃん、おねがーい!」

「………。いいだろう」

月森はさきほど片付けてしまったヴァイオリンをケースから取り出した。

 

♪~♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪

「す………っげえ」

「これが…24のカプリース…!」

超絶技巧曲を奏でる月森を前に、三人は唖然としていた。
こんな至近距離でこれほどまでにすごい曲を聞いているということ。
CDでしか聞いたことのないような曲だが、CDで聞くのとも違う。
それ以上に、美しいヴァイオリン。

「………以上だ」

「………」

曲が終わっても、ほうけてしまった三人は、すぐに反応を返すことすらできなかった。

「す………すごい………」

律は拍手をしながら、すごいすごいと繰り返した。
かなでや響也ですら、こんなに興奮している律を見たことがない。

「ふふ、月森くん、よかったねー?大絶賛だよー♪」

「………」

子供たちの拍手喝采に照れて、月森は顔を赤らめている。
まさか、いつもの練習室でこんなに喝采を受けることになるとは。

お世辞で、上辺だけの感動を語る大人たちとは違い、子供は素直な感動を表に出す。
だからこそ、心から嬉しいと思える。

「ど…。どうしたら、こんな素晴らしいヴァイオリンを奏でることができるんですか…?!」

メモでも持ってくればよかった、という顔で、律が月森に問う。

「そうだな…」

かといって、一言で教えてあげられるようなことではない。
どう返したものか、と月森は返答に困った。

と、隣でかなでや響也とはしゃいでいる日野を見る。

「日々の練習、努力はもちろんのこと―――」

「は、はい!」

「大切な人を見つけるのもまた、よい演奏ができるようになるためのファクターだ」

「………大切な人…ですか?」

律は首を傾げる。
月森は我に返ったように、顔を赤らめて慌てた。

「い、いや、日々の練習が大事だ!」

「はあ…」

「(一体…俺は何を言っているんだ、子供相手に)」

「へえー、じゃあお兄ちゃんとお姉ちゃんはらぶらぶなんだー!」

「すっげー!カレシとカノジョなんだー!」

「?!」

隣からそんな言葉が聞こえてきて、月森はばっ、と日野を振り向く。

「なっ…。香穂子!子供相手に何を話しているんだ!」

「えへへ、いいじゃなーい。こんな堂々とのろけられる機会なんてそうそうないんだからー♪」

日野に説教をしようとしていると、なにやらかなでと響也がひそひそと話している。
何やらいやな予感がして、月森は押し黙った。

「…恋人同士って、らぶらぶだから、ちゅーするんでしょー?」

「ちゅーしろちゅーしろー!」

「なっ…」

「あははっ!ちゅーしろだって、月森くん!」

かなでも響也も、そういうことに興味が出てくる年頃なのだろう。
やたら盛り上がって、月森も日野もそのパワーに負けそうだ。

「お、おい、二人とも…」

律まで赤くなっている。

「…うーん、そうだなぁ。ちゅーはできないけど…」

日野は少し考え込むと、そうだ、と顔を上げた。

「ね!月森くん、この子たちにデュエット聞かせてあげようか!」

「デュエット…?」

とりあえず、子供の前とはいえ人前でキスするくらいなら、デュエットの方が何倍もマシだ。
月森は頷いた。

「デュエット?」

「そう、私たちのデュエットはねー、ちゅーよりもっとすごいかもよー?」

かなでと響也に言い聞かせるようにウインクして、日野はヴァイオリンケースを開けた。

 

♪~♪♪♪♪♪♪♪~♪~♪~…

 

「愛の…あいさつ…」

ぽつりと律が呟く。
二人の音色は、まるで夢の中に誘われたかのように甘く、美しかった。

さきほどの月森の演奏も素晴らしかったが、この演奏はまた違う。
音楽を超えた、想いの結晶のような音色。

かなでには、確かに見えた。
二人を包む、金色の光が―――

 

「僕は、いつかこの学校に入学したいと思います」

少しだけ外に出ようということだったのに、随分時間がたってしまった。
かなでの祖父も、たいそう心配しているだろう。警察にでも行ってしまっていたらどうしよう、と三人は今更心配になった。

「ああ。ここはいい学校だ。…きっと、君のヴァイオリンも上手くなる」

「まだお姉ちゃんたちと話していきたいのに…」

「おじいちゃんに黙って出てきちゃったんでしょ?寂しいけど、もう帰らなきゃ、ね?」

「やだよ~。お姉ちゃん、もっとヴァイオリン聞かせてよ!」

響也は日野に抱きついて半ベソをかいている。

「私だってまだ一緒にいたいよー!…あ、そうだ。ね、君たち写真撮っていかない?今日の思い出に、一枚。ちょうどカメラ持ってるんだよね~♪」

日野は鞄から使い捨てカメラを取り出した。

「やたら用意がいいな、香穂子…」

「偶然だってば、この前天羽ちゃんにもらったの。…じゃあほらほら、そこに三人並んで!」

「はーい!」

三人は窓際に並んだ。

「いきまーす。はい、チーズ!」

かち、と軽い音。

「はい、よく撮れました~!…インスタントとかなら、すぐ渡せたんだけどな~…」

「俺たち撮った写真見れないよー?」

「うーん…」

「そうだ、香穂子。その写真、現像したらオケ部の部室に置いておくのはどうだろうか」

「オケ部の?なんでまた?」

「彼は、この学校に入学したいそうだ」

月森は律を見ながら言った。
律も、その言葉を受けて頷く。

「ヴァイオリンをやっているんだ。入るなら音楽科だろう?」

「はい!」

「では、音楽室にもよく行くことになるだろう。オケ部の部室は、音楽室の中だ。そうすれば、きっと…」

「入学したらこの写真が見つけられるってこと?!うわあ、月森くんもたまには粋なこと言うんだねぇ!」

「たまには、は余計だ。…どうだ?君がこの学校に入学して、この写真を見つける。俺たちの約束だ」

「は…はい!必ずこの学校に入学して…この写真を見つけます!」

「きっとその頃には、君もいいヴァイオリニストになっていることだろう」

月森は優しい微笑みを見せた。

 

「…お姉ちゃん。私、お姉ちゃんとお兄ちゃんがヴァイオリンを弾いてる時、きれいな光が見えたの」

「…光?」

「うん。…どうしたら、あんなにきれいな演奏ができるのかな。私にも、あんな演奏ができるようになるのかな?」

「うーん、そうねぇ…」

日野はにやり、と笑うと、律と響也を指差した。

「かなでちゃんがさっきみたいな演奏ができるようになるには、律くんか響也くんの力が必要かも!」

「えっ?!律くんか、響也…?」

「お、俺か律?!なんで?!」

「もう少し大きくなったらわかるよ。きっと…ね」

月森も日野は、学院の外まで三人を送ってくれた。
三人は何度も彼らを振り返り、大きく手を振りながら祖父がいる工房へと帰っていった。

 

 

 

 

 

 

 

「…あの後、かなでのじーちゃんにこっぴどく叱られたっけなー」

「律くんまで涙目になってたもんね?」

「…そんなことばかり覚えているんだな」

「響也は大泣きしてたけどね!」

「う、うるさいな!…でも、本当に入学しちまうなんて思わなかったよな。律はまだしも、俺とかなでは成り行きだったし」

「あの時のお兄ちゃんとお姉ちゃん…元気かなぁ。もう結婚とかしてるのかな?」

かなではうっとりと窓の外を見つめる。

「ばーか、男と女なんてそう簡単にうまくいくかよ。とっくに別れてるって」

「なんてこと言うのよ、バカ響也!」

「………お前たち、知らなかったのか?」

二人の会話を聞いて、律はきょとんとした顔で言った。

「知らなかった…って、何がだよ」

「あの時、俺たちにヴァイオリンを聞かせてくれた高校生の名だ。…覚えていないのか?」

「何があったかとか、あの時の兄ちゃんがすっげーヴァイオリンが上手かったってことは覚えてっけどさ。名前まではさすがに忘れちまったよ」

「私も…。あのお姉ちゃんも、ヴァイオリン上手だったよね」

「24のカプリースを弾いてくれた男子は月森蓮。女子は日野香穂子だ」

「……………。月森…蓮………って、えええええ?!」

「うそ?!あれ、月森蓮だったの?!」

響也もかなでも、目が飛び出しそうなくらい驚いていた。
月森蓮―――それは、クラシックに詳しくない人でも知っているような、世界で活躍する日本人ヴァイオリニスト。そして、日野香穂子は―――

「確か、既に子供が一人いたように思うが。去年、産休で休んでいただろう、日野香穂子は。彼女もまた、有名なヴァイオリニストだ」

「…!!!!!」

かなでは息を飲んだ。
あれが、あの二人が―――

「ま…まじかよ…!月森蓮…って、コンサートチケットがヤフオクで20万まで跳ね上がってるんだぞ?!」

「そっか…。やっぱりあの二人、結婚したんだね…!」

「驚くのそこかよ?!あー、こんなことなら、あの時サインのひとつやふたつ、もらっておくんだったぜ…」

「………。あれ?律くん、ちょっと…」

かなでは律が手にしている写真に目を向けた。

「な、なんだ?」

「ちょっとそれ、かして」

「っ………。ああ」

律はなぜか部が悪そうな顔をしている。
かなでが「何に気づいたか」、悟ったのだろう。

かなでは、写真の裏の隅に何かが小さく書かれているのに気づいた。
律から写真を受け取り、それをよく見てみる。

「これ………!」

 

かなでちゃんへ

愛のあいさつのお相手に、りつくんときょうやくん、どっちを選んだのかな?
すっごく気になります!
きっとこれを見る頃には、かなでちゃんも素敵なヴァイオリニストになってるんだろうな。

日野香穂子より

 

「………!!!」

それを読んで、かなでは顔を真っ赤に染めた。
律もまた、赤くなっている。
きっと、かなでよりも早くこのメッセージに気づき、読んでいたに違いない。

「ん?どうしたんだよ、かなで」

「な、な、なんでもない!」

「なんだよ!なんでもなくない雰囲気まんまんだろ!」

「響也。なんでもないといったらなんでもない」

「な、なんだよあんたまで!二人で秘密にするなんてずるいぞ!写真か?写真になんか書いてあるんだな?!」

見せろー!と写真を奪い取ろうとする響也を交わしながら、かなでは思った。

 

お姉ちゃん、私が愛のあいさつを弾けるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです―――。

END